忘れられない言葉がある。
「死は痛々しく、とげとげしいものだよ」
鳥取市の「野の花診療所」で院長の徳永進さん(72)が言った。昨年7月のことだ。
徳永さんは在宅死を望む患者らを訪問診療する。家での最期を希望しても、容体が急変したり家族が不安に思ったりして、病院で亡くなる患者がいる。
取材をしていて、医師や家族に不満をぶつける場面に出合ったこともある。
「痛々しい部分を隠し、家で死ぬのを安らかで穏やかという美談にしてはいけないよ」。徳永さんは私の目を見て、はっきりと言った。
◇ ◇
私は32年間生きてきて、親や友人を亡くした経験がない。この1年半、取材を進めながら初めて死を深く考えた。
出会った人たちのことを思い浮かべてみる。
真っ先に思い出すのは神戸市東灘区の清水千恵子さんだ。昨年6月18日、乳がんのため70歳で逝った。
息を引き取るまでの4カ月間、私は自宅や病院で話を聞かせてもらった。「最期まで笑って、楽しく生きたいやん」。会うといつも、そう口にしていた。
亡くなって1年になるのを前に、夫の将夫(まさお)さん(76)、長女香織さん(41)に聞きたいことがあった。千恵子さんは最期まで、にこやかに過ごすことができたのだろうか。
◇ ◇
1年ぶりに自宅を訪ね、将夫さん、香織さんと向き合う。「苦しいことは苦しかったと思います。痛いしねえ」。香織さんが振り返る。
千恵子さんは亡くなる3週間前まで、家で過ごした。薬で痛みを抑え、習い事や友人との食事に出掛けていた。
「母は泣くより、笑って過ごす方がいいやんって人。うじうじした姿は見ませんでした。人と会って話すのが好きでしたから。外へ出掛けることで、苦しみや痛みを紛らわせていたんやと思います」と香織さん。
そういえば、千恵子さんが私に「死期が近づいているのは分かっている」と話したことがあった。痛みやつらさを受け入れ、できる範囲でそれまでと変わらない生活を楽しむ。母の姿を見てきた香織さんは「そんなに後悔はありません」と言った。
「死ぬって、痛々しいだけとちゃうで」。千恵子さんの明るい声が聞こえてくる気がする。(田中宏樹)
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