愛猫が完治しない病気であると、飼い主は目の前の命をどう支え、看取ればいいのか困惑することもある。緩和ケアは人間社会でもまだ、広く浸透していない看取りの考え方。だからこそ、愛猫に対しても「できる治療がなくて申し訳ない…」と思い、罪悪感でいっぱいの緩和ケア期を過ごす方は多いと思う。
だが、みかんくんの飼い主さん(@many_sprouts)は獣医師から告げられた“ある言葉”により、緩和ケアの捉え方が変化した。
■一目惚れして迎えた猫が娘を守る“ナイト”に!
2012年、ペット可マンションで暮らしていた飼い主さん夫妻は事前に「猫を探そう」と決めていた4月1日、ネットで「子猫」と検索。スコティッシュフォールドとノルウェージャンフォレストキャットの血を受け継いだみかんくんに一目惚れし、お迎えした。
2年後、夫妻の間には娘さんが誕生。引っかかれたら危ないと思い、ベビーベッドにメッシュガードを取り付けると、みかんくんは正面から娘さんを観察するように。
そしてある日、少し目を離した際に娘さんの隣へ行き、当たり前のような顔で眠った。
「驚きましたが、それ以来、日中も見守り、毎晩の授乳にも付き合ってくれ、猫なのに寝不足になっていて(笑)だから、ベビーベッドのガードを外して、入りやすいようにしました」
それからというもの、みかんくんは娘さんのナイトに。怖がりなのに、熊本地震の時には守るかのように、娘さんの顔の横に張り付いた。
「誤って娘に歯が当たってしまった時には、うつむき加減で反省していました(笑)」
■顎下の膨らみから判明した「多中心型リンパ腫」
幸せな日々が一変したのは、2023年11月中旬。日課のブラッシング中に顎下を撫でていると、膨らみがあることに気づいた。翌日、かかりつけ医に行くも、そこでは病名の判断ができず。1カ月ほど度様子見するか、専門の病院へ行くかの二択を迫られた。
数日間、悩んだ末、飼い主さんは悪化を恐れて、専門病院を受診。すると、顎の下や脇の下、股の付け根などのリンパ節が腫れる「多中心型リンパ腫」であることが分かった。
みかんくんの場合は早期発見でき、体の状態も良かったため、抗がん剤治療で寛解する可能性が高いと告げられたそうだ。リンパ腫は完治しないが、寛解して何年も生きている猫も多い--。そんな獣医師の言葉にも背中を押され、抗がん剤治療を選択した。
治療期間は半年に及んだ。治療中、自宅にはみかんくんがひとりで落ち着いて過ごせるような場所を増やし、通院時には暑さ・寒さ対策を行った。
「診察後にはご褒美として液状のシーバを、帰宅後は湯せんした焼きカツオをあげていました」
■リンパ腫が再発…獣医師の助言で変わった「緩和ケア」の捉え方
半年間の抗がん剤治療により、みかんくんのリンパ腫は寛解。1年ほどは経過観察のために通院していたが、獣医師からは「再発ナシ」のお墨付きをもらえていた。
ところが、2024年12月、腎臓にリンパ腫が再発。再発時は、前回よりも抗がん剤が効きにくくなる。獣医師からそう告げられた飼い主さんは「どこまで頑張ってもらうか」と悩み、考え、再度、抗がん剤治を選択した。
しかし、治療中、予期せぬ事態が。みかんくんは貧血が酷くなってしまったのだ。飼い主さんは、輸血での延命か、輸血をせず自宅で看取るかの選択を迫られた。
一度は、できる治療を全てしてあげたい。そう思い、飼い主さんは輸血を選択。ドナーを探してもらうことにしたが、心は揺らいだまま。みかんくんは抗がん剤が効かなくなっており、体の状態も悪化していたからだ。
輸血のリスクによって、病院に預けている間に亡くなったらどうしよう…。そう悩む飼い主さんに獣医師が告げたのは、「輸血で状態がよくなったとしても2週間生きられるか分からない」という残酷な現実だった。
こんな状態で病院に預けることなんてできない…。そう感じ、飼い主さんは輸血を断念。すると、獣医師は“緩和ケア”という選択肢もあると助言。ネガティブに思われやすい緩和ケアの捉え方が変わる言葉をかけてくれた。
積極的治療を選ばないことは、諦めることとは違う--。
「リンパ腫は完治せず、非常に苦しい状態で亡くなる子も多いそうです。だから、比較的苦しさが少ない貧血の状態で看取ってあげるのもひとつの選択との考えを示し、この言葉をかけてくださいました」
緩和ケアは、治療法がなくなったときに苦痛を減らすための処置…。正直、飼い主さんはこれまで緩和ケアに対して、そうしたネガティブなイメージを持っていた。だが、獣医師の言葉を聞き、心境が変化。諦めるのではなく、愛猫が大好きな家族と楽に過ごせる時間を少しでも長く持てるように自宅へ連れ帰ろうと、心から思えたのだ。
「この日の帰り道は、一番辛かった。でも、ここからが家族だからこそできる治療やケアの時間なのだと気合いを入れました」
■愛猫の“やりたいこと”を叶えた緩和ケア期と寄り添えた「別れの瞬間」
緩和ケアは、訪問診療の先生から指示を受けながら行った。家族は「みかんの“やりたい”を全力で応援してあげよう」と話し合い、自分たちにできることを探した。
例えば、みかんくんの体が動きにくくなった時には行動範囲内の床に座布団を敷き詰め、寝やすくしたそう。すると、不思議なことが。どこから力を振り絞ったのか、ある日、みかんくんは自力でベッドによじ登ったのだ。
「いつもの場所で過ごしたいんだなと感じたので、私と娘がいる時は、オムツをつけてベッドの上で一緒に過ごしました。毎晩『明日も、おはようしようね』と言って、手を繋いで眠りました。自力でベッドから降りることはできないので、私たちがいる時はベッド、それ以外の時はソファーや座布団に移動させていました」
愛猫の緩和ケア中は飼い主側の心が苦しくなることもあるが、飼い主さんの場合は獣医師の言葉が心に深く響いたからか、気持ちが深く沈んだことはなかったという。それよりも、尊い1日1日の記憶を残したくて、写真を撮っては“生きている証”を毎日Xに投稿した。
別れが来たのは、2025年2月19日。その日、みかんくんは午前中から下半身が冷たく、硬直していた。
「それでも、夕方に娘がパチパチキャンディーをパチパチさせる姿に驚く様子を見せてくれました。でも、夜に呼吸が早くなって…」
様子を撮影した動画を訪問診療の獣医師に送ると、別れがちかいことを知らされた。そこで、娘さんと一緒に名前を呼び、体を撫でた。すると、みかんくんは体の下に敷いていたペットシートを噛んだ後、天国へ。13年のニャン生を全うした。
「亡くなる当日まで、毎日“おはよう”をしてくれました。最期の日は、声は出ていませんでしたが、手で私たちを押して起こしてくれて。やれることは全てやれたと思えていますが、病気を治してあげられなかったことだけが悔しいです」
■“家族だからこそできること“が緩和ケア期には多くある
愛猫が緩和ケア期に移行すると、できる治療がない現実が憎くなるし、飼い主は自分を責めてしまうことも多い。だが、緩和ケア期には獣医師や看護師だけではできない、“家族だからこそできること”が多くあると、飼い主さんは話す。
「私たちは緩和ケア期があったから、みかんとの絆を再確認できたし、別れを受け入れるための心の準備期間ももらうことができました。緩和ケアの時間は、みかんからの最後のプレゼントだったのかもしれません。自己満足かもしれませんが、みかんにとっても家族の愛情をしっかりと受け取れる幸せな時間だったと信じています」
緩和ケア期は悲しいだけではなく、互いに愛情を伝え合うことができる尊い時間--。そう捉えると、緩和ケアとの向き合い方が少し変わるのではないだろうか。
最期まで家族と共に生き抜いたみかんくんはきっと天国で、注がれた愛情の深さを他猫に自慢していることだろう。
(愛玩動物飼養管理士・古川 諭香)