中国がウクライナ戦争やイスラエルをめぐる中東問題で沈黙を続ける理由は、戦略的な国益の追求と国際社会での立場を維持するための複雑な計算に基づいている。この姿勢は、中国の外交政策の基本原則である「不干渉」と、地政学的・経済的利益を最大化しようとする現実主義的なアプローチを反映している。
まず、中国の外交政策は「内政不干渉」を掲げ、他国の紛争や内政問題に直接介入することを避ける傾向がある。これは、西側諸国のような人権や民主主義を基盤とした介入主義とは対照的で、歴史的に中国自身が外国の干渉を受けた経験から、国内の主権と安定を最優先する姿勢に由来する。
ウクライナ戦争では、ロシアとの戦略的パートナーシップを維持しつつ、西側との関係悪化を避けるため、中国は明確な立場を表明せず、中立的なスタンスを装う。たとえば、公式声明では「対話と協議を通じた解決」を繰り返し強調するが、具体的な非難や制裁への参加は控える。これは、ロシアとのエネルギーや軍事面での協力関係を損なわず、同時に欧米との経済的結びつきを維持するためのバランス感覚の表れである。
中東問題、特にイスラエルとイランの対立においても、中国は同様の沈黙を貫く。イランは中国にとって重要なエネルギー供給国であり、「一帯一路」構想の要でもある。一方、イスラエルは技術やイノベーション分野でのパートナーであり、経済的利益をもたらす。中国がどちらか一方を支持すれば、もう一方との関係が悪化し、地域全体での影響力を損なうリスクがある。そのため、紛争当事者への直接的な批判を避け、和平交渉の仲介役としての曖昧な立場を維持することで、双方との関係を保ちつつ、地域での影響力を拡大する機会をうかがう。この沈黙は、積極的な関与よりも「様子見」を通じてリスクを最小化する戦略と言える。
さらに、中国の沈黙には国内の政治的安定を優先する意図も潜む。ウクライナ戦争や中東の紛争は、中国国内の世論を刺激する可能性がある。特に、ウクライナ問題では、ロシアへの支持を公然と表明すれば、国内の反戦感情や西側との関係悪化を懸念する知識層の反発を招きかねない。
一方、中東問題では、イスラム教徒の多い新疆ウイグル自治区での政策に対する国際的批判を考慮し、イスラム国家であるイランへの過度な肩入れを避ける必要がある。中国共産党にとって、国内の統治の正統性は最優先事項であり、国際紛争への関与が国内の安定を脅かすリスクは極力排除される。
経済的観点からも、中国の沈黙は合理的な選択である。
ウクライナ戦争によるエネルギー価格の高騰やサプライチェーンの混乱は、中国経済に直接的な影響を及ぼす。中国はロシアから割安なエネルギーを輸入することで、経済的負担を軽減しているが、戦争への明確な支持は欧米からの経済制裁や市場アクセス制限を招く可能性がある。同様に、中東での紛争がエスカレートすれば、石油供給の安定性が脅かされ、中国のエネルギー安全保障に影響が及ぶ。中国はこうしたリスクを回避するため、表向きの中立を保ちつつ、裏ではロシアやイランとの経済的取引を維持し、利益を確保する。
地政学的な観点では、中国の沈黙は米国を中心とする西側諸国への対抗意識とも連動する。
ウクライナ戦争では、ロシアが西側と対立することで、米国のリソースと注意がアジア太平洋地域から分散される。これは、中国にとって台湾問題や南シナ海での影響力拡大を進める上で有利な状況を生む。中東でも、米国のイスラエル偏重政策に対する不満を持つアラブ諸国やイランとの関係を強化することで、反米陣営での影響力を高める狙いがある。中国は紛争への直接関与を避けることで、西側との対立をエスカレートさせず、長期的なパワーバランスの変化を見据えた戦略を展開している。
最後に、中国の沈黙は国際社会での「責任ある大国」としてのイメージ構築とも関連する。国連やG20などの場で、中国は平和と協力を訴える姿勢を強調し、発展途上国やグローバルサウスからの支持を集めようとしている。ウクライナや中東の紛争で特定の陣営に与すれば、このイメージが損なわれ、米国のリーダーシップに対する対抗軸としての地位が揺らぐ。中国は沈黙を通じて、積極的な介入よりも調停者としての役割を演じることで、国際社会での道徳的優位性を確保しようとする。
このように、中国の沈黙は、不干渉原則の堅持、経済的利益の確保、地政学的な機会の最大化、国内安定の優先、そして国際的イメージの構築という多層的な戦略の産物である。この姿勢は、短期的なリスク回避と長期的な国益追求のバランスを取るものであり、中国がグローバルなパワーとして台頭する中で、慎重かつ計算された外交の一端を示している。
◆和田大樹(わだ・だいじゅ)外交・安全保障研究者 株式会社 Strategic Intelligence 代表取締役 CEO、一般社団法人日本カウンターインテリジェンス協会理事、清和大学講師などを兼務。研究分野としては、国際政治学、安全保障論、国際テロリズム論、経済安全保障など。大学研究者である一方、実務家として海外に進出する企業向けに地政学・経済安全保障リスクのコンサルティング業務(情報提供、助言、セミナーなど)を行っている。