子どもの頃「夏休みがずっと続けばいいのに」と願った経験は、誰しも一度はあるでしょう。8月の終わりに感じる切なさを大人になっても思い出す人は多いはずです。漫画家の春野ユキトさんがX(旧Twitter)に投稿した『8月32日は来ないから』は、そんな夏休みの終わりの感覚を軸に描かれた物語です。大人になった今だからこそ胸に迫る内容に、多くの読者から反響が寄せられています。
物語は主人公・せりが7月の終わりに仕事を長期休暇し、久しぶりの「夏休み」を手にしたところから始まります。ある日、家のチャイムが鳴り、せりが玄関を開けると近所に住む小学4年生の女の子・なずながアサガオの鉢を持って立っていました。なずなは、家では育てられないという理由で、アサガオを預かってほしいと頼みに来たのです。
これをきっかけに、なずなは頻繁にせりの家を訪れるようになります。なずなは母親が宗教に傾倒していたことから友達とも遊べず、1年生のときにはアサガオも宗教上の理由から倒されてしまっていたのです。その過去があったからこそ、ナズナはアサガオを「今度こそ育てたい」と願い、懸命に世話を続けていました。
やがてアサガオが美しく咲き、無邪気に喜ぶなずなを見て、せりも嬉しく思っていたのです。しかしそれから数日後、彼女の姿はぱたりと見えなくなります。その後、なずなの父親がセリを訪ねてくるのでした。なずなの父親は、母親と離婚することと残りの夏休みになずなは父親の実家で過ごすこと、そして新学期から転校することをせりに告げるのです。
せりは買い溜めしておいたアイスや、なくなってしまった夏の時間に喪失感を覚えます。そんな中、なずなは再びせりの家に現れ、朝顔のタネを差し出し「一緒に育てれば寂しくない」と話します。そして、引っ越しや家族の事情で胸の内を押さえきれなくなったなずなは、せりの胸に飛び込み泣きじゃくるのでした。
この出来事で救われたのはなずなだけではありません。実はせり自身も、妊娠初期の流産をきっかけに会社を休んでおり、せりとなずなはそれぞれ痛みと共感を通じてつながっていたことが描かれます。せりは9月1日に、夏休みの終わりと共になずなとの思い出を振り返りながら「今日からまた生きよう」と思うのでした。
夏休みのせつなくもあたたかな出来事を描いた同作について、作者の春野ユキトさんに話を聞きました。
■夏休みが終わらないでほしい、でも現実はやってくる
ー同作を描こうと思ったきっかけを。。
コミックビームで読切を描かせていただけることになり、基本的に自由に描いていいとのことだったので、メモしていたアイデアの中からなんとなく選びました。最初は“少女と青年”という設定だったのですが、何か違うと感じて、今の形に落ち着きました。
ー作品を作る上で最も悩んだ、考えたシーンは。
2年前に描いたものなので細かい記憶は薄いのですが、やはり朝顔が咲くシーンの表現には特に時間をかけました。作品全体の象徴的な場面なので、どう描けば読者に響くのかを考えた記憶があります。
ー「8月32日は来ないから」という題名にしたのは。
最初はもっと長い英語タイトルだったのですが、担当編集から『文法が間違っているし、タイトルは短い方がいい』とアドバイスを受け、変更しました。
“8月32日”という存在しない日付は、終わらない夏休みを象徴するものとしてよく使われます。私自身、子どもの頃は夏休みが終わってほしくなくて、9月1日が来るのが不安で仕方ありませんでした。だから“8月32日”には憧れがあります。
でも実際には9月1日は必ず来るし、その現実から逃げることはできません。だからこそ、終わりを受け入れながらも前を向いていく。そんな気持ちを込めたタイトルで、自分でもとても気に入っています。
(海川 まこと/漫画収集家)