未来のトビラをひらく「こども万博」(画像提供:こども万博実行委員会)
未来のトビラをひらく「こども万博」(画像提供:こども万博実行委員会)

大人は子どもに対して、よく「将来の夢はなーに?」と問いかける。ところが、子どもが正直に夢を答えると、大人の常識で否定することがある。敏感にそれを察知した子どもはそのうち「お父さん、お母さんが喜びそうな夢」を無難に答えるようになる。

「本当に、それでいいのでしょうか?」

そんな疑問を呈するのは、子どもの夢を応援する活動「こども万博」を展開する「こども万博実行委員会」実行委員長・手塚麻里さん。初めはわずか12人の子どもを集めて始まった活動は、去る10月10、11日の2日間、大阪・関西万博のEXPOメッセ「WASSE」で開催されるほど、大きなイベントに成長した。

■「こども万博は」単なるイベントではなく「次へ繋がる場」

手塚さんが取り組んでいるこども万博は、「体験を通して、子どもの世界を広げ、ユニークな人材を輩出する」というビジョンを掲げて始まった。名称に「万博」を冠しているが、国際博覧会と直接の関係はない。

「こども万博」最大の魅力は、普段出会わない人に出会えることだ。集まる人々が「子どもたちの夢を応援する」というテーマを共有し合い、否定や批判をせず、誰もが前向きに子どもの話を聞く。「あー、楽しかったね」で終わる単発イベントではなく、子どもたちの「明日からの生活に、少しでも彩りを加えられたらいいね」という想いが込められている。

鉄筋職人やプログラマーなど34の企業が協力する「おしごと体験」のブースでは、各社ごと簡単なワークショップが行われた。鉄筋職人のブースを体験した子は、細い鉄筋でも実際に曲げるには思いのほか力が要ることに驚いた様子だった。ほかにも「こども縁日」のブースも設けられ、2日間の入場者数は目標の5000人に対し、約5倍にあたる24000人が訪れる大成功をおさめた。

■2年間にわたるホームレスを経験して「人を見る目」が変わった

手塚さんは、長崎生まれ横浜育ちで、会社を経営する父、母、兄の4人家族のごく一般的な家庭だった。

横浜で暮らしていた中学3年の秋、生活が一変する。定期テストを受けている最中に呼び出され、教師から「すぐ荷物をまとめて、ご親戚の家に行きなさい」と告げられた。

いったん自宅へ戻ると母親が待っており、「もう二度と帰れないから、大切なものをこの箱に入れて」と言われた。父親が事件に巻き込まれ、一家は夜中に自宅を出る。いわゆる夜逃げだった。

当時の理事長に自ら事情を話して退学を申し出ると、理事長は「高校卒業まで、無償で通いなさい」と厚意を示してくれて、さらに2つの条件を出す。ひとつは「卒業してから学校にお金を返そうと思わないこと」。もうひとつは「自分の力で稼げるようになったら、あなたの次の世代の子どもたちに、何かできることをすること」。この言葉は、今も手塚さんの原動力となっている。

家を出た後は親戚の家に身を寄せたが、手塚さんは申し訳なさから友人宅を転々としたり、公園などで寝泊まりしたりしながら約2年間にわたるホームレス生活を送る。

学校では、クラスメイトたちが明らかに多めにつくってきた弁当を「食べきれないから、麻里、食べてくれる?」と、決して恩着せがましくない思いやりを示してくれたという。

ホームレス生活の経験は、手塚さんの人生観や価値観に大きな影響を与えている。以前の自分であれば、ホームレスの人に話しかけることは絶対にしなかったし、別の世界にいる人たちという感覚だった。

しかし、自身がその立場になったとき、やさしく手を差し伸べてくれたのはホームレスの人たちだった。パンを分けてくれたり、比較的安全な場所を教えてくれたりしたそうだ。

そうした経験から、人を外見や状況だけで決めつけるのではなく、その人自身の存在を認める考え方につながっているという。

■ホームレスから看護師へ 「恩返し」の連鎖が広げる子どもたちの世界

手塚さんは高校を出た後、アルバイトで学費を稼いで看護専門学校へ通い、慶応大学病院の看護師になった。先輩や同僚は大卒ばかり。専門学校からの新卒採用は、手塚さんが初めてだった。クリニック、インターナショナルスクールのスクールナースなどを経て、27歳で結婚し、3人の子を持つ母となる。

我が子の友達が自宅へ遊びに来たときのこと、子ども同士の何げない会話が手塚さんの耳に入った。

「将来の夢は何?」

「お母さんが喜ぶから、○○って言ってる」

「好きなこと、やりたいことは?」

「え~と……」

ある子が「大人って、すぐ夢は何っていうけど、答えたら『それは良くない』とかいうじゃん」といい、他の子たちもうなずいた。

「大人ができるのは、何かを教えることより、夢を育てられるよう応援することだ」と思った手塚さんは、後日あらためて12人の子どもを集めて「やりたいことを、みんな出し合おうよ」と提案した。「お風呂いっぱいにゼリーをつくりたい」「カフェを開きたい」など、12人で128個の「夢」が集まったため、1つずつ叶えていくことにした。夢の実現に向けて取り組む子どもたちの姿を保護者にも見てもらいたいという想いから、初めてイベント化して神戸で開催したところ、1500人の子どもが参加。2022年に「株式会社こどもCandy」を設立し、子どもの夢を応援し続けている。

「私は、たくさんの方に救われました。その恩を、次の世代に繋いでいきます」

手塚さんの頭に浮かぶのは、無償での卒業を許してくれた校長先生、お弁当を分けてくれたクラスメイトたち、パンを分けてくれたホームレスの人たちの顔だ。

今後の「こども万博」については、継続的なイベント開催に加え、新たな挑戦を計画している。大阪・関西万博での開催をきっかけに、子どもたちの海外への視点が広がっているのを感じたため、来年以降は海外での開催も視野に入れているという。

子どもたちの挑戦のフィールドが広がるほど、様々な子どもたちがチャレンジできる場になると手塚さんは信じている。「WASSE」でのイベントでは、子どもたちも「子どもスタッフ」として手伝った。

自身の経験から「できるかどうかじゃなくて、やりたいかどうかが夢のはじまりだよ」と、子どもたちにメッセージを発信し続ける手塚さんの活動は、これからも多くの子どもたちの夢を応援し続けるだろう。

(まいどなニュース特約・平藤 清刀)