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六甲山系豪雨災害

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 「ダム」と聞いて多くの人が思い浮かべるのは、見上げるような壁面と、満々と水をたたえた湖水の風景だろう。

 一方で趣の異なるダムもある。水をたたえる代わりに全身で山の土砂を受け止める。それらは「砂防ダム」と呼ばれている。

 六甲山系には1100以上の砂防ダムがある。花こう岩が風化して崩れやすい地質だからだ。市街地から比較的近い場所にもあるが、ふだん親しむ機会は少ない。

 「神戸には文化財に指定された貴重な砂防ダムがある」。そう聞いて見に行くことにした。

 東灘区・住吉川上流の「五助堰堤(ごすけえんてい)」と灘区・杣谷(そまたに)川中流の「杣谷堰堤」。どちらも築60年ほどで、後に続く砂防ダムのモデルになったと評価され、3年前に国の登録有形文化財に選ばれた。兵庫県内では600件以上の歴史的な建造物が選定されているが、砂防ダムはこの2件だけだ。

 川沿いに山道を歩く。住宅地から五助堰堤は約1キロ、杣谷堰堤は数百メートル。初夏の草木が生い茂る谷間にダムは腰を据えていた。

 高さ30メートルの五助堰堤は石積みの外観が重厚さを感じさせる。コンクリート製の杣谷堰堤は半分ほどの高さで、たまった土砂を少しずつ下に流す切れ込みがあり、当時最先端のデザインだった。

 ダムは既に満杯に見える。だが国土交通省の六甲砂防事務所によると、まだ土砂を食い止める余力はあるという。「現役」のダムとして今も下流の都市を守る。

 谷崎潤一郎が「細雪(ささめゆき)」で描いた阪神大水害が起きたのは1938(昭和13)年。土砂とともに流れ出た巨岩が家や人を襲った。

 2基のダムは戦後、その被害を教訓に築かれた。「石防ダム」や「岩防ダム」といってもいいだろう。1967年に発生した「昭和42年豪雨災害」では、土石流で甚大な被害を招いたものの、拡大防止に効果を発揮したとされる。

 今年はその昭和42年災害から50年の節目となる。何日間も降り続いた豪雨で六甲山が牙をむいたのは7月9日だった。「まちは土砂で埋まり、泥の深みにはまったのか、前を歩いていた人の姿が突然目の前で消えた」。当時を知る先輩記者の体験談を思い出す。

 山の中で砂防ダムの巨体を眺めると、神戸は今も自然災害と背中合わせにあるのだと、改めて実感する。今年も雨の季節がやってくる。気を緩めず警戒したい。

2017/6/5

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