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倒壊したマンションから救出される被災者=1995年1月18日、芦屋市 自衛隊員や消防隊員が声をかけながら、崩れた家屋に入る=17日夜、芦屋市 ホームの屋根が落ち、ぺちゃんこになったJR芦屋駅=17日、芦屋市船戸町(撮影・阪神総局員) 西宮から芦屋に向かう国道2号は段差ができ、容易に通行できなかった=17日、西宮市松下町の夙川橋 国道2号を大阪方面に向かう人々=18日、芦屋市前田町(撮影・藤家 武) 「女性一人 家屋の下にいます」と紙が木にくくりつけられていた=17日午前、芦屋市川西町(撮影・阪神総局員)
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倒壊したマンションから救出される被災者=1995年1月18日、芦屋市

自衛隊員や消防隊員が声をかけながら、崩れた家屋に入る=17日夜、芦屋市

ホームの屋根が落ち、ぺちゃんこになったJR芦屋駅=17日、芦屋市船戸町(撮影・阪神総局員)

西宮から芦屋に向かう国道2号は段差ができ、容易に通行できなかった=17日、西宮市松下町の夙川橋

国道2号を大阪方面に向かう人々=18日、芦屋市前田町(撮影・藤家 武)

「女性一人 家屋の下にいます」と紙が木にくくりつけられていた=17日午前、芦屋市川西町(撮影・阪神総局員)

  • 倒壊したマンションから救出される被災者=1995年1月18日、芦屋市
  • 自衛隊員や消防隊員が声をかけながら、崩れた家屋に入る=17日夜、芦屋市
  • ホームの屋根が落ち、ぺちゃんこになったJR芦屋駅=17日、芦屋市船戸町(撮影・阪神総局員)
  • 西宮から芦屋に向かう国道2号は段差ができ、容易に通行できなかった=17日、西宮市松下町の夙川橋
  • 国道2号を大阪方面に向かう人々=18日、芦屋市前田町(撮影・藤家 武)
  • 「女性一人 家屋の下にいます」と紙が木にくくりつけられていた=17日午前、芦屋市川西町(撮影・阪神総局員)

倒壊したマンションから救出される被災者=1995年1月18日、芦屋市 自衛隊員や消防隊員が声をかけながら、崩れた家屋に入る=17日夜、芦屋市 ホームの屋根が落ち、ぺちゃんこになったJR芦屋駅=17日、芦屋市船戸町(撮影・阪神総局員) 西宮から芦屋に向かう国道2号は段差ができ、容易に通行できなかった=17日、西宮市松下町の夙川橋 国道2号を大阪方面に向かう人々=18日、芦屋市前田町(撮影・藤家 武) 「女性一人 家屋の下にいます」と紙が木にくくりつけられていた=17日午前、芦屋市川西町(撮影・阪神総局員)

倒壊したマンションから救出される被災者=1995年1月18日、芦屋市

自衛隊員や消防隊員が声をかけながら、崩れた家屋に入る=17日夜、芦屋市

ホームの屋根が落ち、ぺちゃんこになったJR芦屋駅=17日、芦屋市船戸町(撮影・阪神総局員)

西宮から芦屋に向かう国道2号は段差ができ、容易に通行できなかった=17日、西宮市松下町の夙川橋

国道2号を大阪方面に向かう人々=18日、芦屋市前田町(撮影・藤家 武)

「女性一人 家屋の下にいます」と紙が木にくくりつけられていた=17日午前、芦屋市川西町(撮影・阪神総局員)

  • 倒壊したマンションから救出される被災者=1995年1月18日、芦屋市
  • 自衛隊員や消防隊員が声をかけながら、崩れた家屋に入る=17日夜、芦屋市
  • ホームの屋根が落ち、ぺちゃんこになったJR芦屋駅=17日、芦屋市船戸町(撮影・阪神総局員)
  • 西宮から芦屋に向かう国道2号は段差ができ、容易に通行できなかった=17日、西宮市松下町の夙川橋
  • 国道2号を大阪方面に向かう人々=18日、芦屋市前田町(撮影・藤家 武)
  • 「女性一人 家屋の下にいます」と紙が木にくくりつけられていた=17日午前、芦屋市川西町(撮影・阪神総局員)

 あの日の朝は、晴れて、寒くて、静かだった。

 道路がまだすいていたので、午前7時台だったか。兵庫県西宮市の阪神総局から、波打つ道路を車で芦屋市へ走った。市役所の前で助役が部下に指示を出していた。声をかけようとすると、険しい口調で告げられた。

 「とにかくな、棺おけをあるだけ用意してるところだから」

 棺おけ? ぴんとこなかった。さっき沿道で、軒並み倒れた家屋を見たばかりなのに、その下で人の命が奪われたことを想像できなかった。

 市の職員が車で市内を巡回するという。乗せてもらって一緒に街を見た。けが人があふれる病院。毛布をかぶった人が路上に座り込む、山手のお屋敷町。神戸市に近い芦屋西部は町そのものが消え、ほぼ全てががれきに姿を変えていた。

 夕刊に原稿を送らなければ。神戸・三宮の本社に電話がつながった。勢い込んで報告しようとすると、電話口でさえぎられた。「もう、新聞出せへんかもしれん」。意味が分からない。この時はまだ、神戸が被災したことを知らなかった。

     ◆

 午後になり阪神芦屋駅近くの三八(さんぱち)通商店街へ。普段からよく取材に訪れていた。中でも、お世話になった商店主の男性がいる。早口で面倒見の良い、かいわいの“顔”。昼も夜も通ったその店が崩れ落ちている。

 アーケードの下、通路は店舗のがれきでふさがり、人の姿がない。足がすくんだ。カメラのシャッターは押せなかった。

 数日後。その商店主と再会した。「生きてたね」。抱き合って喜んだ時に聞かれた。

 「商店街の写真、撮った?」。いいえ、と答えるしかなかった。

 「あほやな」。相変わらずの早口だった。

     ◆

 17日の夜。倒壊したマンションで救出作業が続く。白い息と土ぼこりがほのかな明かりに浮かび上がる。

 おばあさんが引きずり出された。生きている。その瞬間、声が聞こえた。「お世話になります」。日常のあいさつみたいに。息を詰めていた現場がふっとゆるむ。若い自衛隊員は涙を流していた。

 あの日の光景は鮮明に浮かぶのに、あの日の気持ちが思い出せない。できたことは何一つ、なかった。

2019/12/11
 

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