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阪神総局に向かう途中、道路をふさいだ巨岩=1995年1月17日午後、西宮市越水社家郷山 断水状態の浜甲子園団地で被災者らに給水する米海兵隊岩国航空基地の隊員ら=撮影日不明、西宮市浜甲子園2 橋桁が落下した阪神高速道路。火災も起き、国道43号上の大型トラックが黒焦げになっていた=20日午後、西宮市本町(撮影・阪神総局員) 生活用品を求めスーパーに約2300人が列を作った=18日午前、西宮市林田町 震災から一夜明け、安井小学校では避難者に食料が配られた=18日午前6時ごろ、西宮市安井町(撮影・阪神総局員) 西宮市役所でボランティアの受付窓口で書類を記入する人々=22日午後、西宮市六湛寺町
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阪神総局に向かう途中、道路をふさいだ巨岩=1995年1月17日午後、西宮市越水社家郷山

断水状態の浜甲子園団地で被災者らに給水する米海兵隊岩国航空基地の隊員ら=撮影日不明、西宮市浜甲子園2

橋桁が落下した阪神高速道路。火災も起き、国道43号上の大型トラックが黒焦げになっていた=20日午後、西宮市本町(撮影・阪神総局員)

生活用品を求めスーパーに約2300人が列を作った=18日午前、西宮市林田町

震災から一夜明け、安井小学校では避難者に食料が配られた=18日午前6時ごろ、西宮市安井町(撮影・阪神総局員)

西宮市役所でボランティアの受付窓口で書類を記入する人々=22日午後、西宮市六湛寺町

  • 阪神総局に向かう途中、道路をふさいだ巨岩=1995年1月17日午後、西宮市越水社家郷山
  • 断水状態の浜甲子園団地で被災者らに給水する米海兵隊岩国航空基地の隊員ら=撮影日不明、西宮市浜甲子園2
  • 橋桁が落下した阪神高速道路。火災も起き、国道43号上の大型トラックが黒焦げになっていた=20日午後、西宮市本町(撮影・阪神総局員)
  • 生活用品を求めスーパーに約2300人が列を作った=18日午前、西宮市林田町
  • 震災から一夜明け、安井小学校では避難者に食料が配られた=18日午前6時ごろ、西宮市安井町(撮影・阪神総局員)
  • 西宮市役所でボランティアの受付窓口で書類を記入する人々=22日午後、西宮市六湛寺町

阪神総局に向かう途中、道路をふさいだ巨岩=1995年1月17日午後、西宮市越水社家郷山 断水状態の浜甲子園団地で被災者らに給水する米海兵隊岩国航空基地の隊員ら=撮影日不明、西宮市浜甲子園2 橋桁が落下した阪神高速道路。火災も起き、国道43号上の大型トラックが黒焦げになっていた=20日午後、西宮市本町(撮影・阪神総局員) 生活用品を求めスーパーに約2300人が列を作った=18日午前、西宮市林田町 震災から一夜明け、安井小学校では避難者に食料が配られた=18日午前6時ごろ、西宮市安井町(撮影・阪神総局員) 西宮市役所でボランティアの受付窓口で書類を記入する人々=22日午後、西宮市六湛寺町

阪神総局に向かう途中、道路をふさいだ巨岩=1995年1月17日午後、西宮市越水社家郷山

断水状態の浜甲子園団地で被災者らに給水する米海兵隊岩国航空基地の隊員ら=撮影日不明、西宮市浜甲子園2

橋桁が落下した阪神高速道路。火災も起き、国道43号上の大型トラックが黒焦げになっていた=20日午後、西宮市本町(撮影・阪神総局員)

生活用品を求めスーパーに約2300人が列を作った=18日午前、西宮市林田町

震災から一夜明け、安井小学校では避難者に食料が配られた=18日午前6時ごろ、西宮市安井町(撮影・阪神総局員)

西宮市役所でボランティアの受付窓口で書類を記入する人々=22日午後、西宮市六湛寺町

  • 阪神総局に向かう途中、道路をふさいだ巨岩=1995年1月17日午後、西宮市越水社家郷山
  • 断水状態の浜甲子園団地で被災者らに給水する米海兵隊岩国航空基地の隊員ら=撮影日不明、西宮市浜甲子園2
  • 橋桁が落下した阪神高速道路。火災も起き、国道43号上の大型トラックが黒焦げになっていた=20日午後、西宮市本町(撮影・阪神総局員)
  • 生活用品を求めスーパーに約2300人が列を作った=18日午前、西宮市林田町
  • 震災から一夜明け、安井小学校では避難者に食料が配られた=18日午前6時ごろ、西宮市安井町(撮影・阪神総局員)
  • 西宮市役所でボランティアの受付窓口で書類を記入する人々=22日午後、西宮市六湛寺町

 人は壮絶な死に直面したとき、「悲しい」という感情をはるかに超えた表情を見せる。それをどう表現すべきなのか、阪神・淡路大震災から25年たった今も整理はつかない。強いて言うなら「不思議な透明感」。そんな空気が被災地を包んでいた。

 姫路支社編集部員だった私は、17日の朝、同僚と車で阪神総局(兵庫県西宮市和上町)を目指した。約5時間かけ西宮市北部の盤滝トンネルを抜けると、目に飛び込んできたのは、市街地から上がる黒煙だった。巨岩が道路をふさぎ、1階部分が押しつぶされた住宅があちこちにあった。

 午後10時。同市中須佐町の生き埋め現場に立っていた。取材の後先が決められないような光景に戸惑い、悩んだ。状況を総局に報告すると、当時のデスクから一喝された。

 「すべてを撮るんや。すべてを聞くんや。すべてを伝えるんや」。感情を押し殺すように、無我夢中でシャッターを切った。

 避難所となっていた市立安井小学校で夜を明かした。無事を喜び合い、余震の恐怖で身を寄せ合う被災者のそばに、毛布にくるまれた遺体が次々と運ばれてきた。断水で遺体を清めることもできず、ウエットティッシュを使い、言葉もないまま黙々と遺体をふく遺族もいた。

 翌18日午前10時、同市宮西町の「宮西マンション」前にいた。チェーンソーでの救出作業中、たまっていたガスに引火し火災が起きた。消防車が到着できない中、3時間燃え続けた。生き埋めだった女性(33)と長男(14)、長女(9)、次女(8)、再婚予定の男性(36)の計5人が亡くなった。私の横で救出を待った女性の姉は、つぶやいた。

 「押しつぶされた上に、火に包まれるなんて…」

     ◆

 その後、西宮市役所の担当となり、被災情報を収集した。その傍ら、橋桁が落下した阪神高速道路の災害現場や酒蔵なども取材した。

 鮮明に覚えていることがある。米国領事館総領事公邸(同市)の救護に駆け付けた米海兵隊岩国航空基地の隊員らが、液状化で断水状態だった浜甲子園団地で、給水を行ったことだ。大統領や国防長官の指示なしに動くことは極めて異例だった。海兵隊員らの自主行動に、被災者が見せた笑顔が忘れられない。

2020/2/5
 

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