兵庫県一宮町(現淡路市)役場は震災当日、騒然としていた。受付カウンターの職員が、次々と入る町内の被害状況を集めて救助の指示を出す。駐車場に出ると、1台の軽トラが滑り込んで来た。荷台に、頭が血まみれの女性が横たわる。「大変なことが起きた」。この時やっと実感した。思わずカメラに手が伸びたが、苦悶(くもん)する姿にレンズを向ける勇気はなかった。
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震災前年の春に赴任し、淡路島北部を担当していた。17日の朝は、島の北東部にある津名町(同)の支局で迎えた。目覚めた途端、猛烈な横揺れ。長々と続いた。しばしぼうぜんとなる。やがて洲本市の淡路総局から安否を尋ねる電話が入った。
警察情報では、島の北西部で人が生き埋めになっているという。急いで車を走らせた。至る所で木造家屋や塀が崩れ、住民や消防団員が集まっている。島を西へ横断し一宮町に入ると、国生み神話で有名な伊弉諾(いざなぎ)神宮の大鳥居が倒れていた。役場に車を止め、町の中心部へ。商店街は大半の店舗が崩れ、見る影もない。妙に広くなった空を、ごう音を響かせヘリコプターが飛ぶ。自宅が傾いたおばあさんは、「戦後すぐの大地震では大丈夫やったのに」と嘆いた。
家の下敷きになり、1人暮らしの高齢者が亡くなったと聞き、海沿いの集落へ向かう。現場を撮影し、周りの人に話を聞いた。夕刊の締め切り時間が気になる。公衆電話から総局へかけると、デスクの声が浮かない。「社会部が電話に出ないんや」。神戸の被災をまだ知らなかった。
その後、北淡町(同)の被害がさらに大きいと分かり北上。結局この日、島の北部を1周した。「とにかく記録に残さないと」。話を聞く傍ら、惨状を可能な限りフィルムに収めていった。
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本社が被災して地域版を掲載できなくなり、総局でB4判1枚、2ページの臨時淡路版を自主発行することに。地元の印刷所で刷ってもらい、本紙と一緒に配った。結局通算で24号発行した。
第1号の作業を終えた17日深夜、思い立って島の北端にある高台へ登った。明石海峡を見渡すと、暗い海の向こうに、遠く神戸の町を焼く炎の帯が浮かび上がっていた。
2020/3/11【20】出会った一人一人の顔 今も忘れない 写真部記者(当時)藤家武 映像写真部次長2020/3/25
【19】それでも撮った。感じていないふりをして 丹波総局員(当時)田中靖浩淡路総局長2020/3/18
【18】国生み神話の神社 大鳥居は無残に 津名支局長(当時)今中秀穂神戸新聞総合印刷・地域編集部次長2020/3/11
【17】3日間の暗闇「神様、なぜ」と女性は叫んだ 香住支局長(当時)中部剛報道部デスク2020/3/4
【16】取材か救助か 迷う時間はなかった 社会部記者(当時)浜田豊彦整理部デスク2020/2/26
【15】病院は薄暗く、不思議なほど静かだった 社会部記者(当時)網麻子文化部デスク2020/2/19
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【9】何のために書くのか 被災者から教わった 阪神総局記者・宝塚市担当(当時)小山優報道部デスク 2020/1/8