ガスのにおいがした。
兵庫県西宮市・仁川の地滑り現場は、地震から丸1日が過ぎても、地中で起きた火災の煙が噴き出していた。
「シュー、シュー」
どこから聞こえてくるのか。不気味な音に足がすくんだ。
「まだ中に人がいるから」
臭気が漂う中、近所の男性がパワーショベルを持ち込み、土砂を掘り起こしていた。近くの階段で若い女性が作業を見守っていた。着の身着のまま、身じろぎひとつしない。何度もためらった末、声を掛けた。
女性は放心したように、前を見つめたままだった。
大量の土砂が捜索を阻んでいた。女性の家族3人が遺体で見つかったのは、数日たってからだった。
◆
25年前の1月17日。駆け出しの記者だった私は、勤務先の姫路から西宮へ車で向かった。
道路をふさぐ落石。ぼうぜんと歩く人の列。消防車が来ず、家が燃え尽きるのも初めて見た。車を止めて写真を撮り、また車を走らせる。持参したフィルムは瞬く間になくなった。
翌日から通ったのが、仁川の地滑り現場だった。
泥だらけの坂道を、姫路から着てきたスーツと革靴で上った。現場に着くたび、声を掛けられた。
「遺族の方ですか?」。場違いな服装に、勘違いした記者が先を争うように群がってきた。
「自分もあんなふうに、さもしい感じなのかな」。そう思うと、人に声を掛けるのが怖くなった。
◆
夜になると、救助活動の様子を会社に伝えるため、公衆電話へ向かった。既に30人ほどが並んでいた。
「家族は無事やから」。安否を伝えると皆、後ろの人に気を使ってすぐに受話器を置いた。「前に入れてほしい」とは言い出せなかった。
1時間半ほど待って、ようやく原稿を伝えた。ほっとして列を離れると、声を掛けられた。「律義に並んで。あんた取材の人やろ」。住民の輪に招き入れられ、「あんたも大変やなあ」と励まされた。
いろいろなものを一度に失ったあの日。深い悲しみと怒りの淵で、その傷を癒やそうとする思いやりと優しさが、被災地にはあった。
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