いよいよ、最後かもしれません。
なにって…わが家の節分です。
今年で、子育て歴20周年。子の成長と健康には「映える料理より、母の安寧」が何より大切だと気づき、家事やほかのイベントごとでは「手を抜く、息抜く、力抜く」の三拍子を重視しているものの、節分(というか、豆まき)には無駄に全力を傾けてきたわが家(というか、わたし)。
このブログに節分への熱い思いとドタバタ劇をつづり始めて、丸10年がたちました。
小学3年生だった娘は大学生、500グラムで生まれた長男は中学3年生、ブログスタート時は生まれていなかった次男も小学1年生に。節分のホープ(?)だった末っ子次男が昨年ついに、「とうちゃんがいなくなると、鬼が来る!」と言い出したのです。
そして迎えた2026年。「とうちゃんがいないときに鬼が出てくるから、鬼はとうちゃんや!」と、さらに核心をついてきます。
「え、そうなん?」と返しつつ、ペラペラの紙のお面をつけただけの父親に驚いてくれる子どもは、もうわが家にいないのか…と、過ぎ去った日々を噛みしめます。
以前は年明けごろからスーパーに行くたび「ちょっとでも怖い鬼の面」を探し回っていたものの、年末から長男の入試のあれこれで余裕がなかったこともあり、「まぁ、去年かおととしのでえーか…」という体たらくぶり。豆まきに山盛りの落花生を使い、夫と娘があっという間に消費していたのも今は昔。この10年で夫の歯は大半がニセモノになり、固いものはNGに。娘も食欲は旺盛なままながら「そのへんにあるものをとにかく食べる」お年頃ではなくなり、チロルチョコ(節分バージョン)と、おつまみ詰め合わせ的なお菓子を、代わりに購入したのでした。
そんなこんなで、子の成長とわたしたちの衰えを胸に刻みながら迎えた、当日。
28歳で子育てをスタートさせた夫も、いまや48歳。黎明期には上下赤ジャージ等を着こみ全力で鬼になりきっていたのが、まるっきりさっきまで着ていた服装という、手抜き全開の登場です。
今年は新・町娘は近くのスーパーでバイトのため不在、旧・町娘は腰痛がひどいので鬼に気を遣われたのか、「さらわれる町娘」という演出もなし。(もしかしたら、まだ鬼を信じているかもしれない…)という一縷の望みをかけ、「キャー、たすけて~早く豆を投げないと~」という演技だけは健在です。
「とうちゃんが鬼の仮面つけてた!!」
鬼が去った後、舞踏会もしくはライダーと混同しながら興奮する次男。さらに、クローゼットの中から鬼の面を見つけ出し、「やっぱり!ここに仮面があった!!」と息巻いています。
オイオイ!そんな、子どもに見つかりやすいところに隠すなよ~!!と、気合い全盛期なら怒り狂っていたかもしれないネタバレ案件も、一日の疲れが出る午後7時、声を張る気力もないアラフィフ…。
◇◇
先日、通学路にある大きなおうちが取り壊されました。次男と通りかかると、ブロック塀と壁の一部がなくなり、家の中が半分見えています。
この家の子どもたちが小さいころは、あの居間で鍋を囲んだり、縁側でガリガリ君を食べたりしたんだろうなぁ…
「こわされたあと、ここに何ができるだろうね!」と期待に胸を膨らませる7歳のとなりで、知らない人んちの在りし日を勝手に想像し、自分と重ねて寂しくなる母。
末っ子を出産してから、「この子もあっという間に大きくなるんだろうなぁ」と、「子育ての終わり」を感じて寂しくなることが増えました。最後に抱っこした日、最後に一緒にお風呂に入った日。今しかない子どもたちの、いろんな瞬間を刻んでおきたいと思いつつ、目の前の嵐のような日々に翻弄されなかなか大切にできずにいます。
ありがとう節分、そして、わが家の子どもたち。赤ジャージだのさらわれる町娘だの、かけがえのない経験をさせてもらいました。
すっかり更地になったそのお宅跡を見ながら、「よし、あと数時間頑張ろう!」と、気合いを入れなおして学童保育に迎えに行く、今日このごろです。
























