派遣された時のことを話す中田勝之さん=南あわじ市賀集野田
派遣された時のことを話す中田勝之さん=南あわじ市賀集野田

 1995年1月17日の阪神・淡路大震災発生から数日後のことだった。賀集小学校(南あわじ市)元校長の中田勝之さん(60)は、祖父の弟がいる神戸に向かった。

 「焼け野原や」。ぺしゃんこにつぶれた家も。道中で見た惨状に言葉を失った。

 当時、福良小(同市)で教壇に立っていた。震災が起きた日、学校周辺に目立った被害はなかったが、いつもより早めに出勤した。少しずつ被害の状況が分かる。島の北部が大変だと知り、淡路市多賀の伯母の家へ急いだ。

 屋根瓦が落ち、水道管は破裂していた。ブルーシートなどをかぶせ、何とか住めるようにした。

 「思い返せば、伯母の家や神戸の光景が、防災について考え続ける根底にあるのかもしれない」