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大森一樹さん=2014年、芦屋市の自宅(撮影・笠原次郎)
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大森一樹さん=2014年、芦屋市の自宅(撮影・笠原次郎)
ゴジラへの思いを語る大森一樹監督=2014年、芦屋市の自宅(撮影・笠原次郎)
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ゴジラへの思いを語る大森一樹監督=2014年、芦屋市の自宅(撮影・笠原次郎)

 神戸を舞台にした「花の降る午後」や平成ゴジラシリーズなどで知られる映画監督の大森一樹(おおもり・かずき)さんが12日午前11時28分、急性骨髄性白血病のため兵庫県西宮市内の病院で死去した。70歳。大阪市出身。自宅は同県芦屋市。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は妻聖子(せいこ)さん。後日、お別れの会を開く予定。

 父親は医師で、芦屋市立精道中学、六甲高校を経て京都府立医大を卒業。在学中から自主映画を撮り、神戸の自主上映グループでも活動した。初めて16ミリで撮影した「暗くなるまで待てない!」は全国で上映されて注目を浴び、1977年にシナリオ「オレンジロード急行」が城戸賞を受賞。翌年、同作で商業監督デビューを果たした。

 医学生の青春群像「ヒポクラテスたち」(80年)で評価を集め、中学の先輩・村上春樹さん原作の「風の歌を聴け」(81年)は神戸・阪神間でロケ。若手監督による制作会社「ディレクターズ・カンパニー」に参加する一方、吉川晃司さんや斉藤由貴さんらアイドル主演映画を多数手がけた。

 89年には宮本輝さん原作の神戸市制100周年記念映画「花の降る午後」に続き、「ゴジラVSビオランテ」で新たなゴジラシリーズを方向付けるなど幅広く活躍した。

 阪神・淡路大震災では自宅マンションが被災。再建の先頭に立った体験を著書にまとめ、「走れ!イチロー」(2001年)などの作品でも被災地を励ました。神戸市中央区の「人と防災未来センター」の展示・交流検討委員や「のじぎく兵庫国体」式典総合プロデューサー、芦屋市広報紙の表紙写真監修も務めた。

 後進の指導にも当たり、大阪電気通信大教授や大阪芸術大映像学科長を歴任。86年と10年には本紙「随想」を執筆した。

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【動画リンク】大森一樹が生前語っていたゴジラの魅力

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