小説「帆神（ほしん）」で今年、新田次郎文学賞と舟橋聖一文学賞をＷ受賞した作家の玉岡かおるさんが、新作２冊を続けざまに出版した。社会運動家・賀川豊彦の妻ハルの伝記小説「春いちばん」と、世界初となる陶板美術館の誕生秘話を描いた「われ去りしとも美は朽ちず」だ。「こんなハイペースで出すのは人生初。超売れっ子作家みたい」と笑う玉岡さんに、両作へ込めた思いを聞いた。（平松正子）

■「春いちばん」賀川豊彦の妻ハル描く

　「春－」は２０１９年５月から３年間、雑誌「家の光」に連載。神奈川県横須賀市で生まれたハルが、女中奉公や印刷工場勤めを経て、賀川とともに神戸のスラム街で貧民救済や労働運動、女性解放に尽くした生涯をつづる。

　執筆当初はハルに対し、「夫や社会に尽くすばかりで、自分の主張はないの？」と不満を覚えたという玉岡さん。しかし貧民の看病で眼病に感染し、右目を失明してもなお他者を救おうとする真心に「従順や奉仕も極めれば神聖さに近づく」と気づいたとか。内気なハルがやがて「スラムの女神」として歩みだす姿が力強い。

　終盤、特に作者の筆が熱を帯びるのは関東大震災での救援活動だ。満身創痍（そうい）で被災地を奔走したハルは〈わたしは世の中の“母”になろう〉と決意。テント暮らしの中で幼児教育施設を立ち上げる。「阪神・淡路の時に『ボランティア元年』といわれたが、実は百年前に賀川夫婦がやっていた。人の情けって巡り巡るものなんですね」

　「天涯の船」の松方幸次郎や「お家さん」の金子直吉、「負けんとき」のヴォーリズら、玉岡作品の懐かしい登場人物たちが顔を出すのも読者にはうれしい。「同時代の神戸で活動し、立場は違えど認め合っていたはず。彼らが築いた街の歴史を、光も影もまとめて伝えていきたい」

■「われ去りし－」陶板美術館の誕生秘話

　もう１冊の「われ去りし－」では、大塚国際美術館（作中では鴻塚（こうづか）国際美術館）の建設プロジェクトをダイナミックに活写する。徳島県鳴門市で起業し、国内屈指の大手へと発展した鴻塚製薬。創立７５周年事業として打ち出したのは、世界中の名画を陶板で再現した美術館構想だった－。

　ダビンチの「モナリザ」やゴッホの「ひまわり」が一堂に会し、バチカンのシスティーナ礼拝堂まで再現できるのは複製ならでは。陶板だから退色や損傷の懸念もなく、自然光での展示も可能だ。「世界に誇るべき日本の技術。ダビンチだって現代にいれば、陶板で創作したんじゃないかしら」

　１章ごとに語り手が変わっていく構成も、自身初の試みという。発案者の社長や現場の技術者、絵画の選定委員たち…。それぞれに価値観が異なり、開館に至る試行錯誤が複眼的に立ち上がっていく。

　「今や各地の自治体が町おこしに躍起だけれど、いち早くアートを観光資源に生かした着眼点が素晴らしい。そんな彼らに敬意を表し、私も新しい書き方に挑んだ。芸術は絶えず進化してこそ、朽ちないものだから」

　「春－」は家の光協会刊、２０９０円。「われ去りし－」は潮出版社刊、１９８０円。