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「少年時代、神戸新聞に名前が載ったとき、紙面を手にしている人を見つけたら顔が真っ赤になった」と思い出を語る内藤國雄九段=神戸市中央区
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「少年時代、神戸新聞に名前が載ったとき、紙面を手にしている人を見つけたら顔が真っ赤になった」と思い出を語る内藤國雄九段=神戸市中央区

 私が初めて読んだ本は「ロビンソン・クルーソー漂流記」だった。9歳の誕生日に兄からもらったもので、粗末な紙に活字がびっしり詰まっていた。日本は敗戦直後で家にはテレビも電話もなく、経済的にどん底の時代だった。“縁台将棋”が盛んで、街では観戦の人も多く、おじさんたちは将棋好きの人が多いんやなあ、と子供心に思った。あの時から自分も将棋に熱中していれば良かったなあ、と思うことも。

 話を戻し、大人向きの本だから知らない字も多く、辞書で調べるか、前後の文章で意味の分かるものはそのまま読み進めた。

 愛犬と乗っているボートが遭難して無人島に漂流し、犬と共に生活するという話。子供の頃の私はニワトリとヒヨコの飼育が大好きで、仲の良い鳥夫婦の会話が分かるようになったと後年テレビで語ったこともある。無人島にニワトリたちも連れていけないだろうかと思ったり、空想の世界を楽しんだ。

 それから毎夜、家から10分ほどの貸本屋さん通いを始めた。「少年少女世界名作全集」が立派なカバー付きで棚の上段に端から端まで並んでいた。

 毎晩1冊読んでいると1年足らずで読み切った。もう記憶はうすいが、1冊忘れられない本がある。最初の方に読んだ「あゝ無情」で、服役後、ジャン・バルジャンがキリスト教会に温かく迎えられたが、銀の燭台(しょくだい)を再び盗み捕まる。神父は「それは私が差し上げたものです」。ジャン・バルジャンはこの一言で立ち直った。

 忘れられない話だ。

 話を将棋に。貸本屋で読む本がなくなり、古本屋さん通いを始めた。たまに見つける将棋の本は非常に少なく、今思っても値が高かった。中に江戸時代の伊藤看寿作という69手詰めの詰将棋。盤の右半分に駒がたくさんあり、見るからに難しい長編もの。アマ五段の人が見ても理解できない難物の図に、棋力10級以下の子供の私が強く惹(ひ)かれたのが不思議。そのことが私を将棋の世界に引き入れてくれることになったのである。人生は運であると誰かが言っていたがその通りだと思っている。

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