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 読者からの投稿作品を紙面で掲載する「神戸新聞文芸」のエッセー・小説部門で、1月に入選した作品を紹介します。

     ◇     ◇     

白髪染め 原瑞希・作

 昭和30年代後半、我が家の6人家族が、ちゃぶ台の前に座り、いつものごとく夕食が始まった。

 まだ祖父母が生存していたにもかかわらず、父は食卓の中央にでんと座り、父号令の元に食事が始まる。

 ところがその日の夕食時、まだ皆の箸がいくらも進まぬうちに、父が突如、箸をぱしっと卓に打ちつけた。

 箸がバウンドして畳に転がった。

 一瞬、無音。

 父以外の皆は、何が父を怒らせたのかわからず、きょとんとする一方で、もしや自分が、父の機嫌を損ねたのではないかとうろたえた。

 皆が食事を中断するやいなや、父は祖母に、「髪、染めたんか」と一喝した。

 「今日、髪結いに行ってきたついでにしてもらったんや」

 祖母は染めたとは言わず、えん曲な表現をした。

 祖母は父の実母だ。

 家族のなかでは、それでも祖母だけは、父に物申す存在であった。

 えん曲な言い方が、よけいに父のかんにさわったのか、「みっともないことをしてくれるな。今すぐ直してこい」とさらに声を張り上げた。

 たまらず祖父が、「明日、法事に行くんや。そやからそんなむちゃなこと言うなよ」と助け舟を出す。

 傍らの母も、「せっかくきれいにしてきたんやから、堪忍したって」と精いっぱいの援護をする。

 それでも父は、早く直せの一点張りで、引っ込めようとはしない。

 根負けした祖母が、すくっと立って、外の洗い場に行った。

 どんなに洗ったところで、染めた髪が急に落ちないのに、祖母は洗い続け、ざんばら髪になって戻ってきた。

 当時父は40半ば、祖母は70手前であった。

 けれどもその後も祖母は、父にどう言われようとも(もっともおおっぴらにはしなかったが)、80過ぎて亡くなるまで白髪染めをやめることはなかった。

 対照的に母は、一度も染めることはなく、40半ばで逝った。

 ちなみに祖父は70過ぎに半白のまま、父は80目前に、祖父同様半白のまま亡くなった。

 それにしても、父はなぜ祖母の白髪染めにああも抵抗し、忌み嫌っていたのであろう。

 父はシベリア抑留も含め、戦争体験は終生黙して言わなかったが、もしかすると、過酷な状況をくぐり抜けてきた身からすると、白髪染めなどさもしく思えたのであろうか。

 古希がきても、いまだ白髪染めをしている私を、父はあの世で苦苦しく思っているに違いない。

【はら・みずき 72歳・無職 淡路市在住】

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