読者からの投稿作品を紙面で掲載する「神戸新聞文芸」のエッセー・小説部門で、1月に入選した作品を紹介します。
◇ ◇
夫婦、二人道 坂本ユミ子・作
不幸はある日、突然、来る! たった十数秒地面が揺れただけで、六千人以上の人々の命が亡くなった。多くの人々の人生が変わってしまった。私の人生も大きく変わった。
1995年1月17日、午前5時46分、阪神・淡路大震災。私が住む神戸市東灘区にあるアパートは1階ロビーのガラスが割れ、壁に無数の亀裂が走ったが、何とか無事だった。同じ町内にある夫の実家は全壊した。
義父母が結婚以来50年住んでいた家だった。運の悪いことに前年、リフォームしたばかりだった。初めて瓦をふき替えて、天井を張り替え、台所、風呂場、トイレなど全てリフォームした。それが一瞬のうちに瓦礫(がれき)の山となった。義父母は2人とも瓦礫の下に埋まったが、無事に救出された。
三宮にある夫の店も全壊、西宮にある私の勤め先も被災して、私は失業した。義母は1月末に神戸市立中央市民病院で股関節の手術を受ける予定だったが、延期になった。一人娘が通う小学校も全壊した。
震災の朝、瓦礫となった夫の実家で立ち尽くす私に、娘が聞いた。
「お母さん、今日は学校に行かなくてもいいの?」
「行かなくていいに決まっているでしょ!」
娘は笑顔になり、
「ラッキー、宿題してなかったんだ」
思わず笑ってしまった。こんなときに笑わせてくれるなんて-小学3年生のお気楽さが羨(うらや)ましく、娘がいてくれてよかったと思った。
その日から電気、ガス、水道の使えない2DKのアパートの6階で、義父母と夫、娘の5人暮らしが始まった。昨日までの平穏無事だった日々が遠い昔に思えた。
「一番大切な命が助かってよかった」
みんな、呪文のように繰り返し、不自由な生活に耐えていた。突然、家を失った義父母は心身ともに弱ってしまった。義父母の家と私たちのアパートは歩いて5分、共働きをしていた私たちは何かと義父母を頼りにしていた。
頼っていた者から頼られる者へ、私たちと義父母の立場は逆転した。愚痴を言っている暇はない。どんな時でも、人は食べて、トイレに行って、眠って、生きていかねばならない。
震災の翌日、夫と私は5人分の食料と水を確保するために、自転車で買い出しに行った。車もバイクも持っていなかった。阪神間は山側から阪急、JR、阪神と3本の鉄道が走っている。道路は国道2号、国道43号、湾岸線、43号の上を阪神高速道路が走る。交通の便がよく住みやすいが、地震には脆(もろ)かった。
鉄道は3本とも不通、湾岸線は寸断され、43号は上を走っている阪神高速が深江で大きく崩壊していた。唯一、2号だけが上下線とも何とか通行可能だった。
摂津本山の自宅を出て、2号を東に向かった。車道は上下線とも動かない車の列。その傍らをバイクや自転車がすり抜けて行く。歩道は全壊した家の瓦礫や倒れた電柱で寸断され、人々は車道に溢(あふ)れた。
自衛隊の装甲車が何台か止まっていた。やっと来てくれたのだ。地震後すぐに始まった大渋滞の影響で自衛隊がすぐに駆けつけることができなかった。自衛隊員は給水作業や倒壊した家の下敷きになった人々の救出作業を黙々と続けていた。
進むこと2時間あまり-夫が叫んだ。
「ダイエーがある!」
2号沿いに、ダイエーの大きな看板が見えた。オレンジ色のシンボルマークが輝いて見えた。ダイエー尼崎店は地震の被害を受けていたけれど、営業していた。お好み焼きと焼きそばが店頭販売しているのを見て、急に空腹を覚えた。
腕時計を見ると、午後1時を回っていた。朝、半分つぶれたバナナを食べただけだった。一昨日から温かい物は口にしていなかった。夫と2人、立ったまま無言でお好み焼きを一気に食べた。
「これほどおいしいお好み焼きを食べたことない」
「ほんまや、元気でるわ」
義父母と娘の顔が浮かんだ。
「みんなに温かいもん食べさせたいなあ」
夫がつぶやいた。私も同じ気持ちだった。夫は一番にカセットこんろを求めて2階に行ったが、売り切れだった。店内は人で溢れていた。レジは長蛇の列。みんないっぱい買い物をしているので、レジは進まない。夫が列に並び、私は食料品や飲み物を次々とカゴに入れていった。品物で山盛りになったカゴを両手に列に戻ると、待ちかねたように夫が言った。
「ちょっと、行ってくる」
「行くって、どこへ?」
「カセットこんろを探しに行く。30分行っても見つからなかったら、戻ってくる」
夫は私が並んでいる間にカセットこんろを求めて、さらに東に向かった。
1時間後、やっとレジで会計を済ませて、買ったものを袋に詰めていると、夫が戻ってきた。夫は笑顔で、
「今夜は鍋にしよう」
夫は杭瀬まで行って、大きな市場の金物店でカセットこんろを見つけた。
夫と私は背中にパンパンに膨らんだバックパックを背負い、前と後ろに山のように荷物を積んだ自転車を押しながら、2号を歩いた。もう自転車に乗れる状態ではなかった。2人とも戦後生まれなのに、
「終戦直後の買い出しみたいやね」と、笑った。
2号はさらに多くの人で溢れ、身動きさえ取れなくなってきた。2号をあきらめて、わき道へ入った。どの道も動かない自動車の列とその脇をすり抜けて行く自転車やバイク、人々で埋め尽くされていた。
この調子ではいつ、アパートに帰れるかわからない。残された道は一つしかない。普段は通れないけれど、今なら通れる。
「これが一番近道だな、きっと」
「ほんまや、行きもここを通ればよかった」
阪急の線路上、自転車を押しながら、何だか笑いがこみ上げてきた。夫も笑っている。さすがに線路を歩く人は少なかった。
「今日のこと一生わすれへん」
「うん、私も」
結婚14年、これほど夫を頼もしく感じたことはなかった。冬の日は短い。西の空には夕焼けが広がっていた。夕焼けに向かって、2人で線路を歩き続けた。
【さかもと・ゆみこ 65歳・無職 神戸市東灘区在住】
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