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お笑いコンビ「マユリカ」の阪本匠伍(左)と中谷祐太=神戸新聞社(撮影・鈴木雅之)
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お笑いコンビ「マユリカ」の阪本匠伍(左)と中谷祐太=神戸新聞社(撮影・鈴木雅之)
ラジオ関西で収録に臨む2人。ほぼ打ち合わせなしの軽快なトークが人気
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ラジオ関西で収録に臨む2人。ほぼ打ち合わせなしの軽快なトークが人気
ラジオイベントでビキニ姿を披露する中谷。女性客らから歓声が上がった=神戸新聞松方ホール
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ラジオイベントでビキニ姿を披露する中谷。女性客らから歓声が上がった=神戸新聞松方ホール

 神戸市出身のお笑いコンビ「マユリカ」が4月から東京に活動拠点を移し、新たなスタートを切った。阪本匠伍と中谷祐太=ともに(33)=は3歳からの幼なじみ。ラジオ関西の番組で繰り出される気取らないトークで人気に火がつき、お笑いの賞レースでも好成績を残す期待のホープだ。2人は「今しかできないことをしたい」と力を込める。(津田和納)

 同市西区の出身で、ママ友だった親が2人をつないだ。井吹台東小4年のお楽しみ会で、バラエティー番組「笑う犬」のコントをまねたのが初共演。阪本は「身内のノリだったけどウケていた」と振り返る。

 中谷が市外の私立中高一貫校へ進んでも、夜はインターネット電話で話し、週末には明石海峡大橋まで「チャリ旅」へ。古本屋巡りや外食など、神戸には青春の記憶が詰まっている。

 高校時代には「大阪のやんちゃな子たちと無理してつるみ、苦しい時があった」という阪本。そんな時、お笑い好きの同級生が大喜利を教えてくれた。授業中にお題を決め、メールで回答する。「お笑いにハマって、窮屈な生活が急に楽しくなりだした」

 阪本は神戸学院大学、中谷は神戸芸術工科大学へ進学。芸人を志していた阪本は「絶対コイツなら来る」との自信から中谷を誘い、漫画家志望だった中谷も「テレビに出られるかも」というミーハー心で即諾した。

 地元にちなんだ「いぶき」のコンビ名でオーディションを受けるも落選。2010年に吉本興業のお笑い養成所「NSC」に入り、2人の妹の名前をもじって「マユリカ」と名付けた。劇場のレギュラーメンバーに選ばれる4年目まではアルバイト生活。中谷は「初舞台のギャラは源泉税を引かれた450円だったけど、今でも明細書を大切にしてます」と笑う。

 7年前からは毎月2本の新ネタを書き下ろす。18年の「M-1グランプリ」では準決勝に進出。阪本は「なぜ僕らがと思って信じられず、居心地も悪かった」というが、21、22年に再び準決勝に進み敗者復活戦に出た後は「少しずつ流れを感じた」と話す。

 20年からラジオ関西で月1回の「マユリカのうなされながら見た夢のあとで!」が放送開始。その後、ポッドキャストで「マユリカのうなげろりん!!」の配信が始まると、月間50万ダウンロードされる人気番組になった。制作費を集めるため、舞子浜でビキニ写真集を作った際は、雑誌編集をしているというリスナーの協力で、プロのカメラマンに撮影を依頼。出来上がった写真集は、たちまち3千部を完売した。

 トーク内容は思い出話や芸人生活の愚痴、恋愛、下ネタ…。中谷の中学時代のブログ記事が紹介されて“黒歴史”が暴かれたり、阪本が憧れのアイドルに会えたりしたことも。「僕らのトークがこれほどラジオにハマると思っていなかった」と2人。阪本は「誰も聴いてないと思って始めたので自由にいろんなことが言えた。一番自信を持っている仕事で、マユリカの名刺代わりです」と胸を張る。

 ロングコートダディやニッポンの社長、シカゴ実業が東京進出することになり、「『行くなら今がベスト』と背中を押された」と阪本。ボーカルを務める芸人バンド「ジュースごくごく倶楽部」を本気で続けるためにも上京を決めた。

 中谷が「『うなげろりん!!』でもやれることが増えるから楽しみ」と話す一方で、「楽しみは一切なくて、不安しかない。行くからにはやるしかない」と阪本は現実的。この距離感と互いを補い合う仲の良さが、マユリカの魅力だろう。

 東京進出後も「うなげろりん!!」は土曜午後11時ごろに配信される。

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