手作業も多く、約30もの工程を経て作られる靴の数々=神戸市長田区大道通5、カワノ(撮影・大田将之)
手作業も多く、約30もの工程を経て作られる靴の数々=神戸市長田区大道通5、カワノ(撮影・大田将之)

 機械音が響く工場で、20人ほどの職人が黙々と作業をする。のり付けした革を木型にかぶせ、足の形に固定。靴底は手で貼り付け、さらに機械でプレスする。成型・検品を何度も重ね、約30の工程を経て、ようやく一足の靴が出来上がる。

 神戸市長田区の婦人靴大手、カワノ。ローファーやカジュアルなモカシンシューズ、サンダルなど約50種類を手がける。革は伸縮性や材質が均一でなく、緻密な作業は職人の勘が頼り。研ぎ澄まされた感性と技術が「メード・イン・ジャパン」の高品質を保つ。

 素材の調達や製造も国内にこだわり、今も皮革は調達先の大半が兵庫県内にある。しかし、一部の底材や装飾金具は輸入品。縫製の外注も半分は海外頼みだ。

 かつては地域内で完結できていたが、この30年で構図は大きく変わった。「まち全体が工場として機能しなくなった」と、社長の河野忠友(58)は言う。

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 日本最大のケミカルシューズ産地として栄えた神戸市長田、須磨区。メーカーを頂点に、裁断、縫製などの下請け業者らが生産のピラミッド構造を形成。路地裏には部品を供給する業者がひしめき、必要な機能は全てそろっていた。この集積と分業態勢が、需要に即応できる機動性や多品種少量生産を支えた。

 しかし、1995年の阪神・淡路大震災による町工場の倒壊や火災で、約8割が操業不能に陥る。震災は、原風景である「まち一体の生産体制」を奪った。

 被災メーカーが再開を図る中、「製品を求めた問屋は中国などの海外に一層目を向けた面もあった」。日本ケミカルシューズ工業組合理事長の新井康夫(69)が振り返る。

 業界はもともと下り坂に差しかかっており、安価な輸入品との競争でメーカーが倒れると、一蓮托生(いちれんたくしょう)の下請け業者も仕事を失った。

 この地区に集中する組合の加盟業者数は、震災前の226社から2023年に74社まで減少。新型コロナウイルス禍での外出控えによる靴消費の激減が、業者の減少に拍車をかける。

 河野は全国に12店あった直営店を5店に絞り、インターネット販売に活路を求める。「メーカーも下請けも、10年後はさらに半分になるのではないか」。危機感をあらわにした。

 先細るケミカル産業。「街の灯」を消すまいと、メーカーは業界の機能維持へ動き始めている。(敬称略)

(横田良平、谷口夏乃)