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「本土復帰」のシュプレヒコールをして行進
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「本土復帰」のシュプレヒコールをして行進

 今から56年前の1966(昭和41)年、海運会社の事務員であった私は、英文タイプや、輸出、輸入の書類を作成したりしながら、外国に行ってみたい願望が募り、日本語が通じて近いということで、アメリカ軍の統治下に置かれていた沖縄にひとり旅をしました。

 パスポート取得、日本円をドルに両替。海外渡航費用は1ドル360円の時代で、400ドルが限度だったと思います。私は220ドルしか準備できませんでした。

 船で那覇港に近づき、穏やかな島の姿に見とれていると、静けさを打ち破るすさまじい爆音が聞こえました。空に向かう戦闘機の数々。ベトナム戦争にアメリカが介入した時期で、北爆に向かっていたのでしょう。

 那覇の国際通りにはまだバラックのような建物が並び、バスで中北部に向かう途中、数台の戦車やアメリカ軍の乗ったトラックに出合いました。民間バスが通行する道にパレードでもなく、実戦に向かう車列とすれ違う異常さ。道路沿いにフェンスで囲まれた基地や西洋風の家が立ち並び、ゲートには銃を持ったアメリカ兵が立っていました。写真撮影は禁止と注意を受け、何かしら不気味で早く通り抜けてほしいと願いました。

 戦場の跡は至る所にあって観光というより、戦争の史実を知る旅でした。那覇に戻る帰り道、メーデーの行列が「本土復帰」のシュプレヒコールをして行進していました。

 沖縄が日本に返還されたのは、私が旅行をした6年後でした。歩いて見てまわった旅の印象を残しておきたい。人が人を傷つけ、あやめてしまう世の中に平和という文字は遠いのか。語りたい旅を続けている私です。(神戸市在住 ボランティア 都志見敦子 84歳)

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