ぼろぼろにすり切れた日漢辞典を持つ箟和雄さん=尼崎市内(撮影・小林良多)
ぼろぼろにすり切れた日漢辞典を持つ箟和雄さん=尼崎市内(撮影・小林良多)

 終戦から39年後の1984年11月23日。中国残留孤児の箟(やの)和雄(84)は祖国の地を踏み、肉親を捜すテレビ番組に出演した。自分の日本の名前すら分からない。「王志山(ワンジーシャン)」として、わずかな手がかりに懸けた。

 72年の日中国交正常化まで、育った村で日本人だと話題になることはなかった。だが国交回復後、公安局が何度も来て、日本に帰国させるよう養父を説得した。養母は既に亡くなっていた。

 血がつながっていなくても、家族だった。養父や姉妹は、日本への帰国に心を痛めた。それは長男の箟も同じだった。ただ、日本にルーツがある限り、自分の子どもは中国でいい大学に進めない。養父は公安局の説得に応じた。

 帰国を決心し、日本政府や大使館に手紙を20通以上送ったが、なぜか、なしのつぶてだった。