学びやの一角にある「戦争の記憶」。鉄製扉には弾痕が残る=西宮市桜谷町(撮影・小林良多)
学びやの一角にある「戦争の記憶」。鉄製扉には弾痕が残る=西宮市桜谷町(撮影・小林良多)

 子どもたちの声が響く校舎の一角に、ところどころ赤茶けた鉄製の扉が残る。近づいてよく見ると、直径1センチほどの穴が幾つも開いている。機銃掃射の弾丸が貫通した跡にほかならない。

 西宮市が初めて空襲を受けた1945年5月11日。桜谷町の大社国民学校(現大社小学校)も標的となった。約60機のB29爆撃機から爆弾が降り注ぎ、市内だけで85人が死亡、250人が重軽傷を負った。

 同校の創立記念誌には、当時の児童の記憶が刻まれている。校舎の屋上から1階までを貫く大きな穴が開き、教室の窓ガラスは全て吹き飛ばされた。事前に警戒警報が出たため、児童らは帰宅していたが、校庭で畑仕事をしていた教諭2人が犠牲となった。