機械部品の加工や組み立て、梱包(こんぽう)を手掛ける「共栄機械製作所」(兵庫県姫路市田寺)が、シイタケの栽培に力を入れている。2008年のリーマン・ショックで受注が激減し、工場の空いたスペースで屋内栽培を始めた。今では本業の売り上げを超え、「きのこ農家」としてコロナ禍の荒波に対抗している。(地道優樹)
背の高い棚が並んだ薄暗い工場。おがくずに栄養剤を混ぜて固めた「菌床ブロック」がひしめき、あちこちからきのこが背を伸ばしている。
1954年創業の同社は現在、年間約45トンのシイタケを栽培。肉厚でかさの裏側や柄が白い品種を中心に菌から培養し、スーパーや農協の直売所など姫路市内外の20カ所以上に出荷している。「地産地消で新鮮な分、臭みがないので子どもにも人気。自慢の娘です」と山下義人社長(60)。社内では「しいたけ姫」の愛称で呼んでいるという。
栽培を始めたのは10年ほど前。大手メーカーの下請けとして自動車や家電などの精密部品を加工していたが、リーマン・ショックで得意先が委託先を海外に移した。工場でできる副業として目を付けたのが、シイタケの栽培だった。
「昔、息子とクワガタを育てていると土からきのこが生えてきて。だから簡単なんじゃないかと」。山下社長の興味もあり、シイタケの菌床ブロックを工場の棚で育ててみた。すると、初年度から「ビギナーズラック」で約1・6トンを収穫。2年目以降は湿度の管理や水やりの頻度に苦戦し、思うように育たない年もあったが、試行錯誤しながら収穫量を増やしていった。
19年にはシイタケの売り上げが本業を逆転。門外漢だった従業員たちも今では触感や色合いから生育状況を判断できるという。昨年8月には工場に最新設備を導入し、菌床ブロックを自前で培養。きのこ菌の植え付けから収穫まで全サイクルを管理できるようにし、コストを抑えた。
今後はナメコやマイタケの商品化も目指す。「個人的な興味で始めたが、結果的にコロナ禍での経営を支えてくれた」と山下社長。長男で常務取締役の智義(ちよし)さん(27)は「子どもの頃から家族で毎年キノコ狩りに行った。無意識に思い出がよみがえったのかも」と話した。