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「手柄村の歩み」を編集した前手柄地区連合自治会長の浪花孝治さん(右)と、現会長の高澤龍一さん=神戸新聞社姫路本社
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「手柄村の歩み」を編集した前手柄地区連合自治会長の浪花孝治さん(右)と、現会長の高澤龍一さん=神戸新聞社姫路本社
昭和初期の手柄村の託児所(手柄地区連合自治会提供)
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昭和初期の手柄村の託児所(手柄地区連合自治会提供)

 明治時代から戦前にかけて存在した「手柄村」の歴史を知ってもらおうと、兵庫県姫路市の手柄地区連合自治会が資料集「手柄村の歩み」を出版した。手柄村独自の取り決めや制度を伝える資料7種類の写真を一冊にまとめた。農作業が忙しい時季に子育てを助け合ったり、家の台所が片付いているかを注意し合ったりと、当時の人間関係の濃密さがうかがえる。(地道優樹)

 手柄村はおおよそ現在の手柄小学校区に当たり、1889(明治22)年の市町村制施行で誕生。姫路市に合併される1936(昭和11)年まで続いた。

 資料集は市の助成事業を活用して出版。編集は前手柄地区連合自治会長の浪花孝治(なにわたかはる)さん(71)が担当し、手書きなどで読みにくい資料は新たに活字に起こした。

 資料の中で最も古いのは11(明治44)年の「手柄村矯風規程(きょうふうきてい)」だ。村人が守るべき22項目の規範をまとめたもので、村で公共事業をするときには、嫌がらず身分相応の資金を出すことなどを定めている。

 大正時代の村の暮らしを伝えるのが、主婦会の取り決めを手書きした文書。礼儀作法や時間を守り、冠婚葬祭では節約するといった26項目が並ぶ。毎月10円(現在の4万円相当)以上を貯金し、いくらかは村に寄付するようにとの文言も。台所を清潔にしているか家を互いに巡回して批評し、改善を促し合うことも掲げている。

 村人が日常的に助け合っていたことが分かる記述も。21(大正10)年の「兵庫県飾磨郡手柄村勢(そんせい)概要」は、伝染病患者を病舎に移し、村人たちが交代で看病していたと伝える。出産1回につき2円(同8千円相当)で往診を受けられる助産師制度もあったという。

 子育てで農村ならではの支え合いもあった。29(昭和4)年の「手柄村治一班(そんちいっぱん)」は、農繁期の6月のみ、4歳以上の未就学児を無料で預かる託児所を設けていたと伝える。36(昭和11)年の「村史」には、当時の兵庫県知事の夫人が手柄村の託児所を視察したときの記念写真も残る。

 手柄村の初代村長を務めた飯塚六朗の歌集や、9代目村長の田中泰造の記念碑(姫路市東延末)も紹介している。編集した浪花さんは「現存する資料は網羅できたはず。良い意味でも悪い意味でも『一つの家族』に例えられた手柄村を知ってもらいたい」と話す。

 B5判、368ページ。校区の住民に約600冊を配布したほか、希望者には先着で50冊を無料進呈する(送料別)。

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