太平洋戦争末期に兵庫県の姫路市街地を焼き払い、173人の命が奪われた2回目の姫路空襲から3日で76年がたった。母や幼い妹と逃げ惑い、自宅を失った竹居洋子さん(83)=同市=は「姫路にも戦争があったということを知ってほしい。1日を無事に終えられることが平和」と話す。(安藤真子)
竹居さんは当時7歳で、国民学校の1年生。父親はビルマ(現ミャンマー)に出征し、母親と3歳だった妹暉子(てるこ)さんと同市北条口に暮らしていた。1945年7月3日深夜、空襲警報が鳴り響き、防空頭巾をかぶって家の外に出た。
暉子さんを乗せた乳母車にしがみつき、母親と3人で城南練兵場(現大手前公園)の防空壕(ごう)を目指した。たどり着くと、逃げてきた人たちであふれかえっていた。姫路護国神社前の防空壕に何とか入ることができた。
空襲が収まり「蒸し風呂のようだった」防空壕を出ると辺りは白み始めていた。近くの堀跡に上がって自宅の方向を見渡すと一面焼け野原だった。「おうちに帰りたい」とぐずる暉子さんに母親はきっぱりと諭した。「おうち、ないやろ? 焼けて帰るとこないんやで」
3人は同市野里や加古川市の親戚宅に身を寄せた。その後、父親がビルマから復員したことをきっかけに姫路市で再び生活の基盤を築いた。
「食べ物がない。あらゆる物がない。あの苦労が一番苦しかった」と竹居さん。空襲翌日、親類が西脇市から自転車に乗っておにぎりを届けてくれた。そのおいしさは忘れられない。
竹居さんは阪神・淡路大震災が発生した95年1月17日、キリスト教青年会(YMCA)のメンバーとおにぎりや豚汁を炊き出しで被災者に届けた。「震災は姫路から応援に行けたけど、戦争は日本中が駄目になっていたことを思い出した」
76年がたち「今は平和だと感じる。戦争を知らない世代には、相手の心に寄り添える人になってほしい」と願う。

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