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市場だった頃の南京町。現在とは異なり混然としたまちだった(曹さん提供)
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市場だった頃の南京町。現在とは異なり混然としたまちだった(曹さん提供)
初期の春節祭。「驚くほど人がやって来た」という(曹さん提供)
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初期の春節祭。「驚くほど人がやって来た」という(曹さん提供)
曹英生さん
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曹英生さん

 「南京町(神戸市中央区)が観光地のようになったのは近年のことです。かつては『南京町市場』と呼ばれていて、いろんな人が商売する混然としたまちでしたから」

 そう話すのは、南京町にある老祥記の3代目曹英生(そうえいせい)さん(65)。創業は1915(大正4)年だが、英生さんの祖父で創業者の曹松琪(しょうき)さんはそれより以前、横浜で料理人をしていたという。そのとき山梨県出身の女性と知り合って結婚、いったん2人で中国へ戻ったが、再度来日して神戸で店を立ち上げた。

 「当時、故郷が厳しい状態でしたから。それに、ばあちゃんも日本が恋しかったのかもしれませんね」。穏やかな口調でそう話す。

 さらにさかのぼると、南京町の原点は1868年の神戸開港にあるという。

 中国人は「三把刀(さんばとう)」(料理、散髪、洋服の仕立て)と呼ばれる職人として従事し、居留地を拠点とする欧米人や同国人を相手に商いをしていたが、やがて日本人も巻き込んでいくようになる。

 「肉を使った料理などは珍しくて、京都や大阪からも日本人が神戸まで来たみたいですよ。欧米化を目指す日本にとって貴重な場所だったと思います」

 「中華料理店が並ぶ場所」というイメージが強い南京町だが、実はそうではない時期の方が長かった。

 食材や生活雑貨、漢方薬などの店が軒先に連なり、多様な人が住み、文化が交流する場所だった。老祥記創業当初、周辺に料理屋はほとんどなかったという。

 戦後も雑然とした状態が続いたが、転機になったのは、意外にもNHK連続テレビ小説「風見鶏」の放送(1977~78年)だったという。

 「テレビを見て多くの人が神戸に来るようになり、神戸自体が観光に目覚めたんですよ。北の異人館と南の南京町で売り出そうという流れになりました」

 区画整理が進められ、「南京町で店を出せば人が来る」という好循環へとつながった。最初の春節祭が催されたのは87年。27万人を呼び込み、南京町は神戸を代表する観光地になった。

 「僕は生まれも育ちも神戸ですが、じいちゃんの世代の華僑はたくましい」

 見知らぬ国で一旗揚げようという気概。華僑の人たちがいなければ、日本の欧米文化の吸収はもっと遅れていたかもしれない。(安福直剛)

=随時掲載=

【バックナンバー】
(5)南京町コミュニティーの形成 貿易、中国人が仲介役
(4)「雑居地」の設定 「日本初」次々と発祥
(3)海軍操練所跡の碑 開港後は英国領事館に
(2)店のネーミング 「○番」-区画の名残
(1)150年変わらぬ町割り 道の名が日本の縮図

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