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 阪神・淡路大震災が起きた時、私は兵庫県庁の知事公室次長兼秘書課長だった。県の初動体制も含め「備えが全くできていないこと」を痛感。翌年、県の初代防災監となり防災体制づくりに取り組んだ。その経験から防災・減災の在り方を考えたい。

 まず初動体制だ。発災日の朝に県災害対策本部を設置し第1回会議を開いた。その時点で集まった本部員は知事も含め5人、その他の職員も40人程度。電話は通じず連絡はほとんどできず、手の打ちようがない状態だった。国も同様に対応ができていなかった。

 この反省から国、自治体とも危機対応の仕組みを整えた。防災関係の規定では法律や地域防災計画の整備、業務継続計画(BCP)の策定、各種マニュアルの作成など制度は整った。だが、十分な予算を確保して着実に備えを強化し、実際に働く仕組みとなっているのか。形骸化が心配だ。