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日本の近代戦争で命を落とした1688人の兵士を祭る忠魂碑=三木市上の丸町
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日本の近代戦争で命を落とした1688人の兵士を祭る忠魂碑=三木市上の丸町

 1937(昭和12)年から始まった日中戦争や太平洋戦争には兵庫県三木市からも多くの若者が出征し、帰らぬ人となったが、市の歴史を記す「三木市史」には、戦没者数が記録されていない。市では、明治期以降の戦争ごとの死者数を把握できていないという。

 三木市上の丸町の上の丸公園にある「忠魂碑」には戦地で命を落とした兵士が祭られている。その数は「1688人」だが、市によると、明治時代の日清戦争、日露戦争を含めて近代戦争の戦没者全員を祭っているとされ、日中戦争、太平洋戦争のみの数ではないという。

 70年に刊行された「三木市史」にも、戦没者数に関する記述は見つからないが、同年に発行された「吉川町誌」には、31年の満州事変で2人、37年の日中戦争以降は391人(軍需工場に勤労中に亡くなった8人を含む)が犠牲となったと記されている。

 三木の戦没者数を明確に示す文献がない中、三木高校で社会科教諭を務めた稲次寛さん(62)=現北条高校教諭=は2004年に戦争に関する調査を実施した。

 三木市遺族会の会長から許可を得て遺徳顕彰会名簿を借り、死亡年、場所などをまとめた。全員が1931年の満州事変以降の戦没者だったといい、その数は「1219人」。ただ、合併前のため、吉川町の戦没者は含まれていない。

 稲次さんの調査で判明した1219人のうち、85人の死因は戦病死だった。稲次さんは「教科書を見ただけでは、生徒もピンと来ない。歴史や平和学習のために、地元の戦没者のことは地域の基本情報として伝える必要がある」と訴える。

 市は現在、新たな『三木市史』の編さん事業を進めている。市は「(戦没者の)遺族も少なくなってきている。遺族会と連携しつつ、戦争の記憶の継承に務めたい」としている。(長沢伸一)

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