17・46 東京・日比谷公園 東京で5回目の開催となる「1・17のつどい」。冷たい風が吹く中、150個の明かりでかたどった「よりそう」の文字の前で、約170人が黙とう。当時、神戸市兵庫区の実家が全壊した俳優の京町(みやこ、本名・山下典子)さん(64)=東京都練馬区=は「舞台などを通して震災を伝え続けたい」と語った。
17・46 中央区・東遊園地 発生時刻から12時間後、再び灯籠に火がともされ、多くの人が静かに祈りをささげる。黙とうの後、24日から始まる「神戸ルミナリエ」の電飾が一部点灯された。紫や白色の光が、死者を悼む人々を包み込むように降り注いだ。
17・30 中央区・ラッセホール 震災で命を落とした児童生徒や教職員らをしのぶ、県教職員組合主催の「追悼の夕べ」が始まる。県内で犠牲になった262人の名前が並ぶ前に、参加者が白い菊を手向けた。当時、帰省中の西宮市で1歳半の将(しょう)ちゃんを亡くした高井千珠(ちづ)さん(63)が講演。「息子を追って死んでしまいたいと思った」とつらい過去を振り返った。
17・30 東灘区・中之町公園 地域主催の追悼行事「あの日を忘れない」。住民が作った108個の灯籠が優しく照らす中、本山南中学校の生徒らが「しあわせ運べるように」を合唱する声が響く。同校2年の宝角(ほうずみ)太一さん(14)は「震災では多くの人が亡くなったが、市民が復興に向けて30年間努力してきた面も忘れてはいけないと思う」と話した。
16・30 須磨区・須磨寺 約30人の僧が読経する声が響き、焼香の煙がたゆたう。神戸市佛教連合会が毎年行っている震災犠牲者の追悼法要。お堂には、震災後、身元がすぐに分からない遺体が安置された。住職が1人亡くなった同寺の小池弘三管長は「協力し合い、つなぎ合って、語り合っていい世の中にしていくことが、今を生きる私たちの務め」とあいさつした。
16・10 中央区・東遊園地 能登半島地震の被災地を思い、発生時刻に黙とう。阪神・淡路大震災当時、神戸市須磨区にあった自宅で被災した荻野弥生さん(60)は「30年前は車中泊も避難生活も経験した。能登は人ごととは思えない」と声を詰まらせた。
15・45 中央区・こうべまちづくり会館 「震災と女性」を考えるイベントで、避難所におけるプライバシー確保の難しさなどについて、阪神・淡路大震災も含めた事例報告があった。NPO法人「ウィメンズネット・こうべ」代表理事の正井礼子さん(75)は「避難所で暮らす被災者は尊厳ある生活を保証されるべき」と訴えた。
14・46 三木市・市民活動センター前駐車場 約50人が阪神・淡路、東日本大震災、能登半島地震の犠牲者を悼む約千本の竹灯籠に明かりをともす。宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区の長沼俊幸さん(62)は「悲しい災害がきっかけだったが、こうして神戸、三木の人たちとつながった縁をこれからも大事にしていきたい」
14・46 中央区・東遊園地 東日本大震災の発生時刻に合わせ、黙とうがささげられた。東北地方の方角に向いた人々の間を冷たい風が吹き抜ける。阪神・淡路-で被災し、自宅マンションが全壊した神戸市中央区の計倉(とくら)美幸さん(67)は「同じ被災者として東北に祈りを届けたい」と語った。
13・40 尼崎市・武庫東小学校 約千人が参加した市による防災訓練で、阪神・淡路大震災で課題となったペットを連れた避難や外国籍の住民への対応が確認された。訓練後の講演会では、震災当時、神戸市長田区の小学校長だった寺村晟子(せいこ)さん(87)が「避難所では子どもたちがトイレ掃除を積極的にしてくれた」と振り返った。
13・30 南あわじ市・広田小、中学校 広田小職員の矢野なぎささん(47)が、防災頭巾をかぶった児童・生徒計約420人を前に、震災当時を振り返った。旧北淡町(淡路市)で木造平屋の自宅が全壊し、津波におびえながら7時間閉じ込められた。経験を語り、「身近な人を大切にして一生懸命生きてほしい」と呼びかけた。
13・00 長田区・ピフレホール 震災の教訓や復興過程について考える集会を市民団体が開き、約300人が参加。講演した神戸大の室崎益輝名誉教授は「震災30年を風化や忘却の節目ではなく、社会を進歩させる新たな出発点にしよう」と呼びかけた。
12・10 中央区・シネリーブル神戸 阪神・淡路大震災をテーマにした映画「港に灯(ひ)がともる」が公開初日を迎え、主演の富田望生(みう)さんと安達もじり監督が舞台あいさつ。撮影で神戸に長期滞在したという富田さんは「今朝は長田で黙とうした。神戸に来ると、主人公の気持ちになる」と涙を流した。
12・00 中央区・南京町 「黙とう」というアナウンスが商店街に流れ、観光客らでにぎわっていた通りが10秒ほど静まり返った。船舶関連の仕事で寄航中という三重県の東司さん(61)は立ち止まって目を閉じる。「震災の年、復興に必要な石材を家島から船で運んだことを思い出す」とつぶやいた。
12・00 神戸港 フェリーや遊覧船など14隻が一斉に汽笛を鳴らし、海上から祈りをささげた。
10・00 中央区・神戸市役所 神戸市が大地震を想定し、その場で一斉に身を守るシェイクアウト訓練を実施。瀬戸内海沿岸部を震源とする地震が発生したとして「ひょうご防災ネット」の登録者へメールを送り、受信した市民が、それぞれの場所で「まず低く、頭を守り、動かない」という基本行動を取った。
9・15 西宮市・高木小学校 校舎横に建つ「復興の鐘」が鳴り、全校集会で親友を亡くした当時の児童が書いた作文が読み上げられた。畑中章文校長(57)は「体育館で避難した人たちは家族のように助け合った。その思いを忘れずにいたい」と優しく語りかけた。
9・00 芦屋市・精道小学校 亡くなった児童8人を悼み、鐘の音が8回鳴り響く。木下新吾校長(54)は同校で担任していた3人が犠牲となった。児童や遺族らが出席した追悼式で「震災学習を毎年積み重ね、繰り返すことに大きな意味がある。それが、生きたくても生きられなかった人への祈りにつながる」と語った。
8・12 中央区・日銀神戸支店 災害時にお金を供給し続けるための訓練を毎年実施。「自家発電装置が起動しました」と真っ暗な室内に声が響く。明かりがつくと、ヘルメット姿の職員らが続々と集まり、ホワイトボードに情報を集約した。別所昌樹支店長(53)は「柔軟に、果敢に判断できるよう準備したい」。
8・00 東灘区・コープこうべ生活文化センター 敷地内の鎮魂碑の前で役職員約60人が黙とうし献花。地震直後、センターは遺体の安置所となった。岩山利久組合長(62)は「30年を迎えるこの日から改めて、笑顔で安心して過ごせる日々を紡げるようまい進する」と教訓の継承を誓った。
7・54 芦屋市・芦屋公園 慰霊碑前の献花台を訪れた人たちが一輪ずつ白い菊を手向けていく。自宅が倒壊して避難生活を経験した島谷全子(まさこ)さん(38)は「この日を迎えると、30年前に一瞬にして引き戻される。震災を知らない世代が増えているからこそ、今後は自分の体験を伝えていきたい」と力を込めた。
6・23 長田区・日吉町ポケットパーク 住民と交流を続ける新潟県中越地震の被災者たちが慰霊祭に参列。マイクを握った旧山古志村(現長岡市)の松井智美さん(44)は「長田の人と地域は温かく、いつも『ともに生きること』の意味を教えてくれる。私たちも能登や東北の被災者を支えていきたい」。
6・00 須磨区・千歳公園 地域では47人が犠牲になった。兄の崔秀光(チェ・スグァン)さん=当時(20)=を亡くした秀英(スヨン)さん(46)は「2年前に語り部になり、初めて父とあの時のことを真正面から話すようになった」という。子どもたち3人も震災発生時の自分と同じくらいの年齢となり、「当時のことを伝える時が来たのかもしれない」と語った。
6・00 長田区・大国公園 ろうそくがともる中、手を合わせた県立農業高校1年の安田善竺(ぜんとく)さん(16)は、「震災で家も生活もすべてが壊れた」という父の話を思い浮かべながら、「多くの人が味わった悲しみを繰り返さないために、経験と教訓を引き継ぎたい」と話した。
5・48 長田区・満福寺 震災直後、周辺が火の海になった。毎朝6時の鐘を、この日だけは5時46分に突く。当時は県外にいて、ボランティアとして被災地に入った住職の大谷良心さん(74)は「まだ焼け跡がくすぶっていた」と30年前の光景を振り返った。
中央区・東遊園地 暗闇に浮かび上がる「よりそう 1・17」の文字。黙とうが始まると、そこかしこですすり泣きが聞こえる。震災後生まれの若い世代の姿も目立つ。姫路市白浜町の冨澤昊(そら)さん(12)もその一人。「僕たちが震災を知ろうとすることが大事だと思うから、ここに来ました」
淡路市・北淡震災記念公園 淡路島の西側。冷たい風が吹き付ける中、たいまつの炎が激しく揺れる。例年より多い約250人の住民らが静かに目を閉じ、祈る。今年の合唱曲は「アメイジング・グレイス」。夜明け前の空に、澄んだ歌声が響き渡った。
灘区・六甲道南公園 月明かりの下、住民ら約20人が慰霊碑を前に黙とう。13日には、地元の南八幡自治会連合会による追悼行事が10年ぶりに復活した。同連合会長の藤井義弘さん(68)は「震災を風化させず、当時を知らない子どもらに語り継いでいきたい」と力を込めた。
東灘区・国道地蔵尊 2019年に建立された本山中町4丁目の慰霊碑で、住民ら十数人が黙とう。42人の犠牲者の中には、名前しか分からない人もいる。5年前から始まった追悼の集い。ようやくできた小さな碑を囲んだ人々は、「手を合わせに来てもらえたら」。
長田区・御蔵北公園 ろうそくで「1・17」を描き、約100人が黙とう。読み上げられた地元の犠牲者128人の名前が響く。母きみ子さん=当時(78)=を亡くした上田厚さん(78)は「優しくて怒られたこともない。息子3人もかわいがってくれた。もう30年もたつんやな」。
西宮市・地すべり犠牲者の碑 慰霊祭を開いた住民有志ら約50人が黙とう。子どもの同級生が亡くなったという岩城峯子さん(81)は「30年は早かった。生かされた命を大切に毎日を生きていきたい」。
中央区・ビーナスブリッジ 神戸市街を一望する展望台で、1月17日の朝が来るたび、26年間トランペットを奏で続ける松平晃さん(82)は、「来るたびに街の明かりが増える」とつぶやく。選んだ曲は童謡「どこかで春が」。
5・38 中央区・東遊園地 サッカーJリーグ1部(J1)王者のヴィッセル神戸の吉田孝行監督と選手、スタッフら約60人が、灯籠の前で静かに黙とうの合図を待つ。尼崎市出身の山川哲史選手(27)は「亡くなった人を思うと胸が苦しくなる。日常は当たり前ではない」。
5・35 長田区・若松鷹取公園 周辺で犠牲になった人の数と同じ105本のろうそくを住民ら約70人が静かに見守る。年々減っていた参加者が今年は増えた。数年ぶりに参加したという長田商業高1年大畑歌音(かのん)さん(16)は「各地で災害が起きている。備えるため、今度は私たちがしっかりしないと」。
5・35 長田区・カトリックたかとり教会 聖堂に集まった地元住民や信徒、僧侶ら計約80人に、神田裕神父(66)が語りかける。「当時は国籍や宗教の壁を越えて助け合い、生きていることがすべてだった。しかし復興とともに、声をかけ合うことが難しくなっている」
5・35 兵庫区・川池公園 住宅街にある慰霊碑下に埋設された銘板には、108人の名が刻まれる。「いのちの碑」の前に設けられた祭壇に、線香を上げる人々。近くに住む木下文夫さん(76)は「震災後の火災で、この辺りの風景もがらっと変わってしまった。あっという間の30年だった」と話した。
5・30 東灘区・森公園 すぐそばを始発電車が通過する。地域の犠牲者107人をしのぶ慰霊碑の周りに集まった人たちに、住民代表の宮本純嗣さん(69)があいさつした。「30年がたち、震災経験者が少なくなった。次の災害で一人でも多くの命を救えるよう、記憶を後世につないで防災意識を高めよう」
5・20 東灘区・本山第一小学校 ボーイスカウト神戸第54団の隊員約30人が、ろうそくや慰霊碑前の燭台(しょくだい)設置など黙とうの会の準備を進める。山口拓真さん(13)は「震災は未経験だけど、地域に住む子どもとして積極的に参加すれば、何年も行事を続けられて、語り継いでいける」。
5・20 灘区・琵琶町公園 震災で亡くなった61人を悼む碑の前に献花台が設けられ、ろうそくがともる。時折、小雨が舞う中、住民ら十数人が集った。自治会長の家門勝治さん(68)は「地震直後に一帯で火事があり、助けられなかった命を思うと胸が詰まる。次の世代のために伝えないと」。