近代化の夜明け、日本人にとって「博覧会」という言葉はマジックワードだった。1862(文久2)年、ロンドン万国博を視察した使節団はその活況に驚く。エキシビションを「博覧会」と訳したのは福沢諭吉という説もある。以降、文明、進歩、繁栄、成長に対するやみがたい憧れを背景に世界各地で大小さまざま、無数の博覧会が開催されてきた。時代の相貌を示しながら推移し、そのDNAは間もなくフィナーレの大阪・関西万博で新たなエポックを刻もうとしている。

 博覧会は時代を映す鏡だ。戦前の兵庫開催分が示すとおり国威発揚、戦意高揚に直結している。全国産業博(1926年、姫路市)▽御大典記念納涼博(28年、神戸市)▽観艦式記念海港博(30年、同)▽楠公600年祭記念神戸観光博(35年、神戸市)▽支那事変聖戦博(38年、西宮市)▽国防科学大博(41年、同)▽決戦防空博(43年、同)