今月は小児がんの闘病経験がある大阪市の北東紗輝さん(22)にインタビューしました。現在はレモネード販売を通じ、啓発にも取り組んでいます。長期入院で学校や友人と離れたつらさ、支えてくれた人たちへの思いを聞きました。
-闘病はいつから?
「3歳で脳腫瘍になり、入院したんです。半身まひが残り、物心が付くころには運動や楽器演奏が友達と同じようにはできませんでした。みんなと一緒のことがしたくて、支援員さんの助けで体育や行事にも参加しました。学校は本当に好きだったんです」
「小学3年のとき、どこにもぶつけてないのにあざができ、体がだるくなりました。予防接種のついでに採血をし、その夜に病院から電話で『翌日から入院して』と。今度は急性骨髄性白血病でした」
-再びの入院で、学校生活から離れました。
「つらかったです。手術や抗がん剤の治療を受け、頭痛や口内炎なども大変でしたが、一番しんどかったのは『ひま』ということ。学校に通えず、友達と会えず、好きだった歌の習い事にも行けません。院内学級やプレイルームで気持ちをまぎらわせました」
「家族や医療関係者の支えは大きかった。臨床心理士さんとはあだ名で呼び合い、愚痴とかたわいない話を聞いてもらいました」
-小学4年の2月に退院できました。
「学校に行けたのがうれしくて、最初は友達と大はしゃぎ。でも、遅れた勉強に次第についていけなくなり、友達との交流も減りました。あんなに楽しみだった学校がしんどくなって…。中学はさらにしんどくて、高校は通信制へ。学校の支援が手厚くて楽になり、卒業後は福祉事業所に通っています」
-小児がん啓発のレモネード販売もしていますね。
「入院で出会った家族で立ち上げた団体『つながる7レモネード』。イベントなどで出店し、利益や寄付を小児がん支援に役立てます。病院や施設への恩返しに加え、小児がんのことを正しく知ってほしいから。闘病中でも楽しいことや学びはできます。何気ない会話や周囲の声かけが力になる。ほんまにつらい時は『助けて』と言うこともできないけど、支えてくれる人は必ずいるし、明かりがともっている居場所はある。そんなつながりがあったから今の私があるんです」
(聞き手・岩崎昂志)