元日の花園ラグビー場(大阪府東大阪市)。全国高校ラグビー大会3回戦で敗れた報徳学園(兵庫)の3年生、前川晏二(あんじ)選手は涙の後、ぽつりと言った。「なんでここにいるんだろう。自分でも信じられない」。名門校の主力として聖地で体を張り続ける姿は、不登校だった中学時代には想像もできなかった。(初鹿野俊)
東京で過ごした幼少期、四つ上の吏六(りむ)さんと兄弟でラグビーを始めた。興味はなかったが、ラガーマンだった父親の勧めで兵庫県西宮市に転居後もスクールに入り、大好きな兄を追った。
周囲を笑わせる「おちゃらけ少年」に異変が生じたのは、西宮市立上ケ原中1年のとき。体調不良で1週間入院後、朝に起き上がれなくなった。診断名は自律神経の働きが不調になる「起立性調節障害」。学校に行けなくなり、体調が安定する昼に起きてゲームに興じ、明け方に布団に入る日々が始まった。
担任の先生や単身赴任で離れて暮らす父親は「無理するな」と優しかった。同居する母親は口には出さなかったが、悩んでいたようだった。不登校は自分でも嫌だったが、昼夜逆転生活からは抜け出せなかった。楕円(だえん)球からも遠ざかった。
高校進学にあたり、父親から母校の報徳学園を薦められた。ラグビー部の泉光太郎コーチは父の元チームメート。気は進まなかったが、現状を打破するチャンスと信じて入学した。