公務災害申請のため集めた膨大な資料を手元に、当時を振り返る森川えみさん=神戸市垂水区(撮影・長嶺麻子)
公務災害申請のため集めた膨大な資料を手元に、当時を振り返る森川えみさん=神戸市垂水区(撮影・長嶺麻子)

 小学2年の時に父の森川正敏さん=当時(41)=を過労自死で亡くした堀切文音(あやね)さん(30)=神戸市西区=が、事実と向き合うきっかけになったのは、過労死防止に取り組む母の森川えみさん(62)=同市垂水区=の執念に触れたことだった。

 1999年4月、芦屋市職員だった正敏さんは、阪神・淡路大震災からの財政再建などを担う新設ポストに抜てきされた。長時間労働が続き、不眠や記憶力の低下などを訴え、やせた。えみさんは不安を表に出さないようにした。「心配されると余計に負担になる」と考え、できるだけ明るく振る舞った。

 正敏さんは2カ月休職した後、2002年3月に復帰した。異動や職務の軽減などの配慮はあったものの、慣れない仕事内容などのストレスから、うつ病は悪化した。

 同年5月23日夜、帰宅した正敏さんは「人に会ってくる」と家を出て、えみさんは子ども2人と眠りについた。深夜、目が覚めても戻った様子はなかった。自宅周辺を捜したが姿はなく、垂水署に届け出た。