太平洋戦争末期の1945年7月7日。明石の砂浜で夜空を見上げると、無数の焼夷弾が降ってきた。漁船に乗って沖へ逃げ、生まれ育った街が燃えていくのを、少年は海から一晩中眺めていた。自宅は全焼。全てを失い、戦後も苦労した。あの七夕から79年。93歳になったかつての少年は「世界から争いがなくなりますように」と願いを込める。(霍見真一郎)
明石市西明石北町2の川﨑健司さん。林国民学校の生徒だった43年、学徒動員で川崎航空機(現・川崎重工業)明石工場に入り、戦闘機の胴体を製造する部署に配属された。滑走路を備えた工場は広大で、毎日無数の工員が「アリの行列のように」出入りした。