「店が開いているという事実が安心材料になる」。淡路島内でスーパーを展開する「マイ・マート」(洲本市)は29年前、その一心で奔走した。
阪神・淡路大震災が起きたあの日。同社のスーパー「マイショップ洲本店」(洲本市納、現マイマルシェ洲本とれたて市場)を任されていた橋本昌俊さん(52)は、島南部の南あわじ市の自宅で揺れを感じ、店へと急いだ。
割れたしょうゆの瓶、水浸しの床…。掃除を終え、1時間遅れで何とか開店したが、すぐに行き詰まる。
当時、明石海峡大橋は開通しておらず、神戸との物流は船頼み。昌俊さんの店の商品も、トラックがカーフェリーで運んでくる。フェリーは大磯港(現淡路市)に着くが、震災が起きる直前、午前5時半の到着便が最後になった。
旧北淡町を中心に島北部の被害が大きく、洲本市以南は水道も電気も止まらず、普段通りの日常を過ごす人も多かった。