1995年の阪神・淡路大震災で、神戸市長田区にあった高橋病院の院長として対応に奔走した高橋玲比古(あきひこ)(69)は、その11年前、研修医勤務を終え、明石市立市民病院(明石市)に入った。明石では連日、胃や腸などの手術があった。
だが玲比古は、大学で見ていた心臓手術に関心があった。人工心肺を回したり複数の医師が待機したりと大がかりで、ミスが命を左右する緊張感にひかれた。
玲比古は、大阪府にある国立循環器病センター(当時)のレジデント(住み込みの医師)試験を受け、採用される。同センターは日本を代表する心臓外科を擁していた。明石に着任してわずか1年。父の諄(まこと)は「何するつもりなんや」とだけ話した。父がつくった高橋病院に、心臓外科ができる設備やスタッフはなかった。
大阪に移って2年目の86年、今度は「留学しないか」と声がかかる。派遣先は世界最高水準の研究拠点で、あのナイチンゲールもいた英国のセント・トーマス病院だった。二つ返事でロンドンに向かう。