神戸商工会議所会頭時代の水越浩士さん=2007年、神戸市中央区港島中町6
神戸商工会議所会頭時代の水越浩士さん=2007年、神戸市中央区港島中町6

 11月25日に死去した神戸製鋼所元社長で神戸商工会議所元会頭の水越浩士さんは、鉄鋼大手のトップとしても、阪神・淡路大震災から復興途上の神戸経済界のリーダーとしても難題に直面し、活性化の種をまいた。会頭時代の2006年に開港した神戸空港の利用促進にも力を注いだ。

 神戸商議所会頭には04年11月に就任した。前任の会頭の大庭浩氏(川崎重工業元社長)が03年12月に任期途中で急逝した後を継いだ。当時、地元経済は震災後の低迷から抜け出せずにいた。中小企業のため「行動する会議所」を標榜(ひょうぼう)。地域ブランドの育成や商店街などのにぎわい創出に努めた。

 2期6年の任期後半は、米国発の世界不況リーマン・ショックに見舞われ、国内では自民党から民主党(当時)への政権交代があった。公共事業の見直しが進められる中、道路網など社会基盤の充実を訴えた。

 特に、06年に開港した神戸空港を気にかけた。当時は関西空港が経営難だったこともあり、後発の神戸空港の不要論を公然と語る在阪の経済人もいた。関西経済連合会の副会長を兼ねる立場で耳を傾け、それでもなお神戸を有効活用する必要性を説いた。