あの日と同じ、真っ青な空。白い鳥に導かれるように男の子が歩いている-。尼崎JR脱線事故の負傷者と家族が作る「空色の栞」に添えられたイラストだ。1両目で事故に遭った宝塚市の福田裕子さん(41)が2011年からデザインを担当している。そして今年も。(浮田志保)
05年4月25日、福田さんは21歳の大学3年生だった。
衝突の瞬間、遠心力で飛ばされた。頭に「ぐにゃり」と誰かの体のようなものを感じて、意識を失った。
しばらくして目が覚めた。顔の前に電車の長い座席がある。背中から「助けて」「動かないで」と声がした。
救出されたのは約1時間半後。肺挫傷や鎖骨骨折の大けがだった。21日間の入院中、見舞いに来てくれた知人が言った。「他の人の分まで生きないとね」
自分の人生さえ分からないのに、おこがましい-。助からなかった人に思いを巡らせ、なぜ自分が生き残ったのかを考えた。
あの「ぐにゃり」とした感触、命のぬくもりをずっとそばに感じていた。