20年間、痛み止めの湿布薬を貼り続けた痕が肩から腰にかけて染みついている=神戸市内
20年間、痛み止めの湿布薬を貼り続けた痕が肩から腰にかけて染みついている=神戸市内

 乗客ら107人が亡くなった尼崎JR脱線事故から20年。大学1年生だった伊丹市の男性(38)は1両目で、背骨が折れる重傷を負い、3カ月入院した。復学後は就職し、家族もできた。なんとか前向きに生きてきたつもりだ。一方で今でも背中に痛みが残り、あの日のまま時間が止まっているような感覚になることがある。(大田将之)

■18歳、大学1年生

 勉強漬けだった高校生活を終え、待ち焦がれていたキャンパスライフが幕を開けたばかりだった。2005年4月25日。JR伊丹駅で乗るはずだった快速電車が2番線を通り過ぎた。約72メートルのオーバーラン。車両が引き返してくる光景にホームはざわついた。

 戸惑いながら乗り込んだ先頭車両。偶然、大学で同じクラスの女子学生と乗り合わせた。「変な電車やな」と言葉を交わし、運転席に目をやった。若い背中が見えた。2人で前日にあった新入生キャンプの話などをしていると、向かいに立っていた乗客がよろめいた。その瞬間、衝撃でつり革から手が離れた。

■ほこり、香水、血のにおい

 そこからは洗濯機に放り込まれたようだった。意志の利かない体を縮めて頭を守り、目を閉じた。「死ぬかもしれない」。そうよぎった途端、急に静かになり、目を開けた。暗かった。誰も動かない。全員死んだと思った。

 ほこり、香水、血が混じったようなにおいが漂い、吐き気がした。外から差し込んだ光が、逆さにつき出た女性の脚を照らしていた。目を凝らせば他に見えたのかもしれないが、脳裏に焼き付けたくなかったのだと思う。

 脱出したのはドアからだったか、窓からだったか。地上で全身を確認し、手のひらを見ると、血はついていなかった。「生きていられた」。そう実感した。

 後に分かることだが、1両目は尼崎市内で線路脇のマンションに激突し、立体駐車場の地下空間に突っ込んでいた。

 早く離れたい一心で歩いた。いつのまにか靴は脱げ、はだしだった。背中が痛み出し、そのまま倒れた。マンションの駐輪場だろうか。救護所に運ばれていた。「痛い」と叫ぶ声が聞こえた。乗り合わせていた女子学生もそこにいた。けがをしていたが、命は助かったようだった。

JR福知山線で脱線した車両=2005年4月25日午前、尼崎市久々知3

■取り残された、完全に