尼崎JR脱線事故は25日、発生から20年となる。制限速度を超過し、車両がマンションに衝突した大惨事は、乗客106人が犠牲になった。教訓を生かすため、安全最優先の企業風土を掲げたJR西日本の歩みをたどる。
■「大阪へ19分 新快速」
20年前のJR三ノ宮駅に、当時の企業風土を象徴する看板があった。
「大阪へ19分 新快速」。神戸・阪神間を私鉄と並行するJR西には絶対に負けられない区間だった。
「ラッシュ時でも三ノ宮の停車時間は短い。必ず出発が遅れ、大阪まで速度を上げて遅れを取り戻す」
ベテラン運転士は当時のダイヤを振り返る。「遅れた分を回復した」。運転士仲間が自慢するなど、スピードこそ利便性という意識は現場に浸透していた。