事故から20年。事故現場を電車が通過する=25日午前8時38分、尼崎市久々知3(撮影・笠原次郎)
事故から20年。事故現場を電車が通過する=25日午前8時38分、尼崎市久々知3(撮影・笠原次郎)

 乗客106人と運転士が死亡した尼崎JR脱線事故は25日、発生から20年を迎えた。現場周辺はこの朝、あの日と同じように徐々に夜が明けた。早朝に行き交う電車の乗客はまだらだったが、事故現場となったマンションの横を通過するとき、乗務員はマンションの方に向き直り、静かに頭を下げた。

 事故現場のマンション跡に整備された追悼施設「祈りの杜」(尼崎市久々知3)では、午前9時45分から追悼慰霊式が一般非公開で営まれる。遺族や関係者らが参列し、祈りをささげる。

 猛スピードで現場カーブに入った快速電車は曲がり切れずにマンションに激突した。9階建てだったマンションは4階部分までが残され、周辺は追悼施設に生まれ変わった。破損した壁が、20年がたつ今も衝突の激しさを伝えている。

 事故が起きたのは午前9時18分。20年を迎えた今年もほぼ同じ時刻、現場カーブを快速電車が減速して通過し、犠牲者を悼む。

 事故後、JR西は懲罰的な「日勤教育」や、余裕のないダイヤ編成を見直した。遺族や専門家らと事故を検証した「安全フォローアップ会議」の提言を受け、2016年には人為ミスは非懲戒とし、報告を促して安全対策に生かす仕組みを導入した。安全を優先する企業風土への変革を目指している。