被爆時の記憶はなく、原爆は「遠い存在」だった。広島で1歳の時に入市被爆した田中洋子さん(81)=神戸市灘区=は6日、広島市で行われた平和記念式典に初めて参列した。自らの体験を語る被爆者に後ろめたさを感じつつ、紙芝居を通して子どもたちに平和の尊さを伝えてきた。「あと10年は生きられても、20年先は分からない。若者に思いを託したい」。願いを胸に、手を合わせた。(真鍋 愛)
■紙芝居で平和の尊さ次代に伝え
田中さんは広島市出身。爆心地の東約1~2キロに広がる旧平塚町に暮らしていたが、原爆が投下された1945年8月6日は、病気で亡くなった姉の納骨のため、両親が生まれ育った愛媛県にいた。
広島の惨状を知った祖母の赤石ツルヨさん(65年死去)は同町で営む食堂の様子を心配し、10日ごろ愛媛から戻り、母の赤石とめ子さん(2008年死去)も田中さんの手を引いて後を追った。食堂や自宅は跡形もなく、町は焼け野原になっていた。
戦後、被爆者健康手帳の交付が始まったが、被爆者への偏見や差別は根強く、兵役で被爆を免れた父は「人に頭を下げてまでもらうものじゃない」と反対した。だがツルヨさんは譲らず、3人の手帳を取得した。