山本幹太さんの幼少期の写真の数々(山本春名さん提供)
山本幹太さんの幼少期の写真の数々(山本春名さん提供)

 山本幹太(かんた)さん(22)の自閉スペクトラム症が分かったのは2歳になったばかりの頃だった。その夜、母親の春名さん(52)は、丹波市の自宅でふと開いた育児雑誌にくぎ付けになった。

 そこには「自閉症の子どもは指さしができず、相手の手をほしいものの方へ持っていく」とあった。不思議に思っていた幹太さんの行動そのままだった。すぐにパソコンに向かった。

 つま先歩き、同じ動作の反復、他人への関心の薄さ、言葉の発達の遅れ、視線が合わない。「全てが幹太にぴったり当てはまる」。息が止まりそうだった。

 気づけば朝。その日あった子育て教室の先生に相談した。「医師じゃないから分からない」と言葉を濁しつつも、障害を否定しない。「どうしてうちの子が」。春名さんは人目もはばからず泣いた。涙を流し、ほんの少しほっとしたのを覚えている。

 それから2カ月間は「地獄だった」。

 心理士から「まず幹太くんとの時間を大事に」と言われたが、不安でたまらない。愛らしかった息子が別人のように思え、全ての行動が「異常」に見えた。

 自閉症についての情報を探し続け、病院で検査を無理に頼み込み、「治療」の可能性を信じて遠方の療育のグループにも顔を出した。教師の仕事も辞めた。冷静に対処しようとする夫に怒りを抱き、「(育児のため)あんたも仕事を辞めて」と迫ったこともある。

 「『普通にしてあげたい』という気持ちが強かった。普通に大学を出て、就職して、結婚して、子どもを持って」。学生時代に全国区の陸上選手だった春名さんは、運動部の息子を応援することを夢見ていた。「自分の思う『当たり前』の生活を幹太にもさせてあげたかった」

 昼は厳しい療育を試みる母に息子がパニックを起こして泣きじゃくり、夜は息子の寝顔を見て母が罪悪感の涙を流す。やがて春名さんは何も手に付かなくなった。

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 転機は友人からのメールだった。「障害のある子は、この家族なら大切に育ててくれると分かって、その親の元に来るらしいよ」。涙が出て、何度も読み返した。同じような詩にも出合い、考えが変わった。

 「理由があって自分のところへ生まれてきてくれた」。そう考えると、幹太さんの笑顔が一層いとおしかった。息子のことをもっと知りたくなった。「何がこの子の幸せか分からない。だから幹太のことは幹太に教えてもらおう」

 メモを手に息子の後ろをついて回った。遊び方を観察し、時にはまねをする。ものを股の間から逆さに見たり、テレビ画面の砂嵐をじっと見つめたり。何が面白いのか分からないこともあったが、一つ一つにちゃんと理由がありそうだった。

 次第に幹太さんと視線が合うことが増えた。「やっと僕のことを分かろうとしてきたな」。そう言われている気がした。思い描く幸せのイメージが砕け散り、悲嘆を乗り越えたことで、春名さんは決意できた。

 「この子の笑顔を見たい。この子と一緒に幸せになりたい」

(那谷享平)

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