選挙期間中、有権者らに手を振る山田基靖氏=姫路市東延末2
選挙期間中、有権者らに手を振る山田基靖氏=姫路市東延末2

 8日に投票された衆院選で、30年ぶりに5人の争いとなった兵庫11区(旧姫路市)は、自民党のベテラン前職の後任争いを制した新人で、元姫路市副市長の山田基靖氏(43)の当選が確実となった。なぜ出身地ではない姫路で政治家を志し、国政に挑んだのか。その経歴から背景に迫った。

 山田氏は東京都港区出身。関東などの小中高校に通い、上智大学法学部を卒業後、外務省に進んだ。

 外交官を目指した原点は2001年の「9・11」だった。当時、大学1年生。「世界の中心を見てみたい」とアルバイト漬けの生活で旅費をため、米ニューヨークに渡った翌朝、同時多発テロが起こった。

 2駅ほど離れた場所にいたが、旅客機衝突によるツインタワーの崩壊、パニックに陥る大都市の姿を目の当たりにした。「日本で起こしてはいけない。日本を守るのは外交だ」。その時、針路が定まった。

 05年の入省後、ポーランドの日本大使館などで働いた。これが姫路との縁ができるきっかけになる。

 帰国後の11年、姫路市の兵庫県播磨高校(現・姫路女学院中学、高校)を運営する学校法人が「ポーランドの学校と交流したい」と自民前職で当時は民主党政権の外務大臣だった松本剛明氏(66)に持ちかけた。その話が同国の担当だった山田氏に舞い込んだという。

 姉妹校提携の締結に協力すると、14年には播磨高校の特別授業を受け持つようになった。ニューヨークの国連日本政府代表部での勤務などを経た19年8月、今度は官民人事交流制度により同校の学園長に就任。2年間の任期を務めた。

 その後、外務省に戻り、安全保障政策課の課長補佐となったが、姫路市の清元秀泰市長(62)に請われ、24年4月、同市の副市長に転身した。

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 外務省を辞めての姫路行きだった。退路を断った背景には、北海道拓殖銀行の東京地区で幹部を務めた父親の影響がある。

 山田氏が中学3年生の時、拓銀が経営破綻した。子どもながらに家族の先行きに不安を感じたが、父は埼玉で再就職先を見つけ、山田氏と姉の2人の学費を稼いでくれた。

 大学生になって早々「話がある」と父に呼ばれ、母を横にして告げられた。

 「北海道に迷惑をかけた。だから残りの人生、北海道のために働きたい。生まれる場所は選べないが、死ぬ場所は選べる」

 宣言通りに母を連れて北の大地に移り住み、地元デパートの再建に関わった。がんを患い65歳で亡くなったが、母は今も北海道で暮らし、父の墓もある。

 「父に言われたのは、墓に『縁』と彫ってくれと。『人生、縁を大切にしろよ』というのが遺言だった。それがなければ、姫路に一人で移住する生き方はできなかった」

 東京に妻と子ども2人を残し、姫路市政に携わった。子どもたちとはビデオ通話アプリを通じて勉強を見たり、画面越しで遊んだり。「歴女」という妻とは兵庫県佐用町の上月城跡を巡るなどして家族との時間をつくっている。

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 姫路市政では、外交官のキャリアを生かし国際事業や教育政策を推し進めた。産官学連携の「ひめじグローバル人材育成コンソーシアム」の設立、各国の優秀な学生が集まるミネルバ大(本部・米カリフォルニア州)のフィールドワークの誘致を主導した。27年度に初開催する「姫路国際ヴァイオリンコンクール」でも中心的な役割を担った。

 一方で、今回の立候補は、仕掛けた施策の種まきや芽が出始めた段階で市役所を去ることを意味した。任期途中の退任でもあり、「投げ出した」と批判的に見る市関係者は一定数いる。

 選挙戦では何度も「姫路を代表して姫路の課題を国に持っていく」「責任が取れないことは言わない」と強調した。掲げた経済成長戦略をはじめ、有権者が成果として実感できる働きができるかどうか。国政の舞台で、その手腕が試される。(有島弘記)

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