原爆ドームをモチーフにした自身の絵のハガキを手に平和への思いを語る内藤幸子さん=6日午前、広島市中区
原爆ドームをモチーフにした自身の絵のハガキを手に平和への思いを語る内藤幸子さん=6日午前、広島市中区

 6日に広島市で開かれた平和記念式典に、兵庫県の被爆者遺族代表として、広島市出身の画家・内藤幸子さん(84)=神戸市垂水区=が初めて参列した。自身も3歳の時、爆心地から4・5キロの自宅で母古川ツユ子さんらと被爆。「惨劇を直接見たわけではない」との思いから、これまで式典に参加せず、毎年、投下時刻に黙とうをささげてきた。(合田純奈)

 式典の会場で、涙がこぼれた。「この場所で一瞬にして穏やかな日常を奪われた人たちに思いを馳せることができた」と語った。

 2016年に105歳で亡くなったツユ子さんの遺族代表として式典に参列した。戦前は看護師として京都やパラオに赴任した「情熱あふれる人」だった。

 父馨さん(1975年に死去)も原爆投下直後の8日ごろ市内に入り、入市被爆した。その日、目にした惨劇を語ることはなかったが、忘れようとしていたのか、酒量が日に日に増えた。体を壊して仕事を休みがちに。戦後、被爆者健康手帳の交付が始まったが、「傷があるわけじゃない。関係ない話」と受けなかった。対象だと知ったのは、亡くなった後だ。

 家族で戦時中の話をすることはなかった。記憶に残るのは、母が漏らした「助かってよかったね、不思議ね」の一言。「頂いた命を大切にと言うけれど、当時はきれいごと。明日の食べ物のことで精いっぱいだったと思う」と振り返る。

 式典には核保有国の代表者も出席した。「広島に来てもらうことが大事。何を感じるかは、その人が生きてきた人生による」。故郷の広島に似ている塩屋に戻ったら、これまで話さなかった被爆の体験を孫らに話すつもりだ。「核兵器がいつ使われてもおかしくない時代。私は私流のやり方で伝える使命がある」と経験を次世代につなぐ。