神戸空襲の慰霊碑に刻まれた2人の名前に触れる吉元涼平さん=神戸市中央区楠町7、大倉山公園
神戸空襲の慰霊碑に刻まれた2人の名前に触れる吉元涼平さん=神戸市中央区楠町7、大倉山公園

 〈吉元健一〉〈吉元千代子〉。今年6月、神戸市中央区の大倉山公園にある神戸空襲の慰霊碑「いのちと平和の碑」に2人の名前が追加された。降りしきる雨の中、その文字にそっと触れた吉元涼平さん(40)=三重県四日市市。西太平洋に浮かぶ米国自治領のテニアン島で育ち、約20年前に米空軍でイラクへの空爆に関わった。神戸空襲で親族が犠牲になっていたとは知らずに。(高田康夫)

 父親はテニアン島の先住民族、チャモロ人。母親は日本人。戦後生まれの2人は偶然出会い、結ばれた。涼平さんは徳島県で生まれ、高校卒業までテニアン島で育った。アメリカ国籍もあり、現地名は「アレン・マングローニャ」。

 2001年9月11日の米中枢同時テロでは、本国から離れたテニアン島にも衝撃が走った。「この島もテロに狙われるかもしれない」「アメリカを守らなければ」。そう思って米軍入りを志願し、試験の成績が良かったため空軍に配属された。

 クラスメートは3分の1以上が入隊した。05年秋、米国が攻撃を続けていたイラクに派遣された。

 任務は、F16戦闘機のパイロットのサポート。地上の基地にいながら標的やルートを決め、敵の動きを伝える。そして、戦闘機に搭載されたカメラの映像を見て、命中したかどうかを確認する。

 標的は建物だけではない。人を狙うこともあった。夜はサーモグラフィーのように体温で標的を探し出した。「爆弾が命中すれば、人がちょっと赤くなってはじけ飛んだ」

 次第に映像が頭から離れず、眠れなくなった。「すごく罪悪感があって」。軍の病院で、医者から心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断された。

 「自分には向いていない」。そう感じて空軍を去ったのは08年。コロナ禍を経て日本で働くようになり、戦後80年の昨年、戸籍を調べてみた。そして衝撃を受けた。