国鉄(現JR)山陰線の余部鉄橋(兵庫県香美町香住区余部)で突風にあおられた列車が転落して6人が死亡した事故から34年となった28日、慰霊碑が立つ現場には遺族や負傷者らが訪れ、犠牲者の冥福を祈った。また、悲痛な事故を二度と繰り返すまいと、JR西日本労働組合は豊岡市で集会を開き、鉄道の安全と利便性向上を求める誓いを新たにした。(金海隆至)
1986年12月28日午後1時25分ごろ、風速33メートルを超える突風で回送列車の7両が転落。約40メートル下にあった水産加工場などを直撃し、女性従業員5人と男性車掌が亡くなった。
この日朝、北村加代子さん=当時(38)=の夫、忠久さん(76)=同町=は小学生の孫を学童保育に送った後、亡き妻を悼み、慰霊碑前で静かに手を合わせた。「コロナ禍にも負けず元気に暮らしているよと報告した。また1年が過ぎたが、思いは変わらない」と話した。
事故で負傷した女性も一心に祈り、「生きているだけでつらい時があった」と言葉少なに振り返った。
JR西日本労働組合の組合員ら約20人は発生時刻に合わせて献花し、黙とうをささげた。昨年に続いて参列した尼崎脱線事故の遺族(81)=大阪市=は「予期せぬ事故で理不尽にも命を落とした人がいる。決して忘れてはいけない」と語った。
同労組はその後、JR豊岡駅前の商業施設「アイティ」で、ローカル線の安全と利便性向上を求める集会を開いた。組合員は「余部鉄橋事故の背景には、民営化を控えて安全より営利を優先する企業体質への転換があった」と指摘。昨年12月に江原駅でワンマン列車の発車直後に起きたベビーカーの転落事故を受け、ハード対策の強化などを訴えていく方針を確認した。
