但馬

  • 印刷
野口雨情の「城崎温泉節」が刻まれた碑を紹介する松井敬代さん=豊岡市城崎町湯島
拡大
野口雨情の「城崎温泉節」が刻まれた碑を紹介する松井敬代さん=豊岡市城崎町湯島
志賀直哉ゆかりの菓子店で創業当時から作られる和菓子「湯のしずく」=豊岡市城崎町湯島
拡大
志賀直哉ゆかりの菓子店で創業当時から作られる和菓子「湯のしずく」=豊岡市城崎町湯島
JR城崎温泉駅前にある島崎藤村の碑=豊岡市城崎町湯島
拡大
JR城崎温泉駅前にある島崎藤村の碑=豊岡市城崎町湯島
有島武郎の碑=豊岡市城崎町湯島
拡大
有島武郎の碑=豊岡市城崎町湯島
志賀直哉ゆかりの桑の木=豊岡市城崎町湯島
拡大
志賀直哉ゆかりの桑の木=豊岡市城崎町湯島

 兵庫県豊岡市の城崎温泉街で、「文学散歩」と題したパンフレットがふと目に留まった。「城の崎にて」の作者・志賀直哉(1883~1971年)をはじめ、古くから多くの文豪らが訪れたゆかりの地で、文学碑が20以上もあるという。こんなにたくさんの碑があるとは知らなかった。地図を片手に巡ってみた。(阿部江利)

 2020年、城崎温泉は開湯1300年を迎えた。平安時代から数多くの歌人や文豪らが訪れ、城崎温泉観光協会のホームページにはゆかりの深い23人の文学碑が紹介されている。

 なぜこんなに文学碑があるのか。旧城崎町の教育委員会で社会教育主事を務めた坂田文一郎さん(75)は「1960~80年代、同町がコミュニティ事業の一環で『歴史と文学といで湯の街』を全面に打ち出した地域づくりを進めた成果」と話す。既に著名な文豪らの碑があったが、当時、新たに建てられたものも多い。

 まずは、JR城崎温泉駅から徒歩5分の「城崎文芸館」からスタート。展示を見て、温泉の歴史や文豪らとのつながりを学んだ後、同協会発行の小冊子「城崎文学碑ぶらり散歩」を購入。碑がない人も含め45人分のエピソードを読める。

 同文芸館を出ると、文豪志賀直哉の碑が目に入る。山手線の電車にはねられてけがをし、城崎温泉で養生した体験などを「城の崎にて」に著した。当時の様子を思い浮かべながら温泉街を西へ歩くと、「志賀直哉ゆかりの桑の木」もある。

 次はロープウエーで温泉街を一望できる山の頂へ。なぜか、「徒然草」で有名な歌人・吉田兼好(鎌倉-室町時代)の歌碑がある。冊子には「1331年ごろに城崎に来た」とある。当時は移動に山裾や山中を行き来したらしい。山の麓の温泉寺薬師堂前には、「小さき者へ」などを残した作家・有島武郎(1878~1923年)の歌碑がある。この調子ではとても1日で回りきれない。街をよく知る達人たちのお薦めは?

 地域のガイド役「城崎案内人」を務める坂田さんは「駅前の島崎藤村(1872~1943年)を紹介しないと始まらない」と話す。藤村は紀行文「山陰土産」に、1925年の北但大震災から2年後、復興する街の様子を記した。「かんなの音、土の香りなど、城崎の今の街並みが新しくつくられていく様子を、藤村はどう受け止めたのか。ここからまち歩きを始めます」と話す。

 県ヘリテージマネジャー(歴史文化遺産活用推進委員)の松井敬代さん(65)は、一駅南のJR玄武洞駅に近い天満宮内にある藤原兼輔(877~933年)ゆかりの歌碑を推す。905年に城崎を訪れたときの歌が古今和歌集にあり、兼輔をしのんでつくられたという。

 「周辺には、当時の様子を思わせる葦(あし)原の風景が残っています」と松井さん。現在の円山川は護岸が高いが、当時は一面の葦原で、鉄道が開通するまで湯治客らは舟を利用していた。

 もう一つのお薦めは、童謡「シャボン玉」「七つの子」などを作詞した野口雨情(1882~1945年)の碑。温泉街のほぼ中央にあり、本人作詞の「城崎温泉節」が刻まれている。節があるが、もう歌える人がいないのでは、という。

 文豪らにゆかりの食べ物も。志賀直哉は、朝に洋食を食べたといい、当時、但馬になかったパンやバターを神戸から取り寄せたのが菓子店「みなとや」だ。

 同店の久保田一三社長(44)によると、約500年前から続く旅館だったが、約150年前、菓子店に。志賀直哉が城崎で過ごした当時から販売し、今も茶席でも使われる和菓子「湯のしずく」などを守り続ける。「志賀直哉もしばしば来店していたそうで、口にすることもあったはず」と笑った。

但馬
但馬の最新
もっと見る
 

天気(9月6日)

  • 33℃
  • ---℃
  • 10%

  • 35℃
  • ---℃
  • 10%

  • 35℃
  • ---℃
  • 10%

  • 36℃
  • ---℃
  • 10%

お知らせ