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伯母へのお礼をつづった山田風太郎の手紙
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伯母へのお礼をつづった山田風太郎の手紙

 兵庫県養父市出身の作家、山田風太郎(1922~2001年)が、城崎郡清滝村(現同県豊岡市日高町)の伯母に、干し柿や餅を送ってもらったお礼を記した直筆の手紙3通が見つかった。1941~43年に、同県新温泉町諸寄の母の実家に身を寄せていたころや東京の沖電気で働いていた時代のもの。いずれも医学校に進学するまで浪人していた際の手紙で、青年期の風太郎の心情や故郷への思い、戦時下の生活の様子がつづられている。(桑名良典)

 風太郎は代々医者の家系で育った。父は養父郡関宮村(現養父市関宮)で医院を開業。父方の本家は清滝村太田にあり、長男の禎蔵が医院を継いだ。今回、禎蔵の孫、巌さん宅で、山田家やその親戚らが交わした書簡約3千通が発見された。

 そのうち風太郎のものは禎蔵の妻ふじゑに宛てた3通で、1通目の消印は41年1月16日。美方郡西浜村諸寄にある母方の祖父の家から送っている。風太郎は県立豊岡中学校(現県立豊岡高校)を出たが、受験に失敗。1年間ほど、祖父の家などに身を寄せたという。

 手紙では、ふじゑが送ったカキに触れ「砂糖不足で甘いものには飢えていましたので、非常に喜んでみんなで食べました」とつづっている。3月に入試を控えていて「全力を尽くします。力一杯やって敗れたら、先のことはまた考えましょう」と近況を知らせた。

 2通目は43年1月4日、東京市(現東京都)品川区から。2度目の受験も失敗して、42年に上京し、沖電気の工場で働きながら勉強を続けた。「今年も何かと気を煩わすことと思いますが、よろしくお願いします」と書き出している。

 さらに「餅をお送り下さいましてありがとうございました。配給の餅は猫の食べる程で、正月を控える前に平らげて、この正月は餅と無縁と思っていた」と記した。その上で沖電気での仕事について「会社は電信機や電話を作っています。秘密ですが、内部では弾丸や機関銃を造っているらしい様子です」とした。

 3通目の消印は43年8月31日。「各家々では庭にあるいは畳をめくり床下に大いなる穴を掘る」として、市民が戦闘準備に忙殺される様子をつづった。食料不足について「大の男が三人寄ればまんじゅうや菓子の話に真剣となるのは笑えない喜劇のよう」と書いた。また、せっけんや豆の仕送りに対して「当分故郷を捨てたつもりの小生だが、故郷からの便りは粛然たる感動を与えざるを得ず、感謝の言葉もない」とした。

 3通の手紙について、山田風太郎記念館(養父市関宮)の有本正彦事務長は「家出同然で上京したため、望郷の思いが強かったのだろう。山田家が彼に手を差し伸べた様子もよく分かる」と話す。その上で「『自分のことを落胆していることは百も承知だが、皆さま必ず長生きして行く末を見てください』とあるように、自信家でちゃめっ気のある風太郎の性格がにじみ出ている」としている。

    ◆

 山田風太郎記念館では、山田家に残っていた手紙の一部を紹介する企画展を開いている。12月26日まで。月曜休館(祝日は開館、翌日休館)。同館TEL079・663・5522

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