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赤と黄色の電飾が「松ちゃんラーメン」の目印だ=豊岡市日高町東芝
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赤と黄色の電飾が「松ちゃんラーメン」の目印だ=豊岡市日高町東芝
1杯ずつ丁寧にラーメンを作る松下寛さん=豊岡市日高町東芝
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1杯ずつ丁寧にラーメンを作る松下寛さん=豊岡市日高町東芝
52年間現役の屋台。2004年の台風23号被害では天板まで水に漬かったという=豊岡市日高町東芝
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52年間現役の屋台。2004年の台風23号被害では天板まで水に漬かったという=豊岡市日高町東芝
「松ちゃんラーメン」のチャーシューメン=豊岡市日高町東芝
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「松ちゃんラーメン」のチャーシューメン=豊岡市日高町東芝
「松ちゃんラーメン」を味わう松本隆博さん(右)=豊岡市日高町東芝
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「松ちゃんラーメン」を味わう松本隆博さん(右)=豊岡市日高町東芝

 トタン張りの小屋の屋根上に赤と黄色の電飾が連なる「松ちゃんラーメン」(兵庫県豊岡市日高町東芝)は、昭和が色濃く残る店だ。元大工の店主・松下寛さん(71)が52年前、空き地で店を始める両親にこしらえた屋台は、あめ色になった今も現役。変わらぬ味のしょうゆラーメンを求めて毎夜、ファンが訪れる。

 メニューは、ラーメン▽チャーシューメン▽ワンタンメン▽チャーシューワンタンメン-の4種類で、「小」は麺1玉、「大」は1・5玉、「特大」は2玉入る。

 特製のしょうゆだれとラードを入れた丼に、ぐつぐつ煮込んだ鶏がらスープをひしゃくで加え、麺は1玉ずつ屋台の引き出しから取り出してゆがく。チャーシューとワンタンは手作りで、モヤシとネギも添える。

 店は、松下さんの父清一さんと母まつゑさんが1970年ごろ、国鉄(現JR)国府駅前の国道312号沿いにある空き地に屋台を構えて始めた。もともと夫妻で伝統工芸「柳行李(やなぎごうり)」を編んでいたが、需要が減ったためか、生産から手を引き、まつゑさんが豊岡の屋台でラーメンの作り方を教わったらしい。

 松下さんは当時19歳。中学卒業後は大工として腕を磨いた。お金がなかったが、店を始める両親に屋台を贈ろうと、近所の製材所から残り物の木材を調達。木の大きさも種類もバラバラだったが、豊岡のラーメン屋台を手本に、幅3・5メートル、奥行き1・2メートル、高さ1・7メートルの立派な屋台をこしらえた。

 両親の店は午前2時、3時まで営業し、飲んだ帰りの客で繁盛したという。4、5年すると空き地に酒販店が建つことになり、自宅に近い今の場所に移転。松下さんが再び、同じ製材所で木材を手に入れ、約45平方メートルの木造平屋を建てた。敷地はY字路に面しており、斜めに交差する道路に合わせてしつらえるのに苦労した。テーブルや椅子も作り、調理場代わりに前の屋台を持ってきた。

 清一さんが病気で亡くなった後は、長い間まつゑさんが一人で店を切り盛りしていたが、十数年前から松下さんがまつゑさんを手伝うようになり、ラーメン作りを一から教わった。松下さんは大工を引退し、店に専念。こたつに入ってニコニコと店を見守っていたまつゑさんも2年前に93歳で亡くなり、松下さんが味を受け継いでいる。

 「もう自分も年だで、いつやめるか分からん」と松下さん。お客さんの雑談に「そうか」「ほーう」と相づちを打ちながら、麺をすする姿を優しく見つめる。子どものころから通っているという近くの男性(40)は「昔と同じシンプルな味で、たまに無性に食べたくなる。おっちゃんは人がよいし、店に来たらホッとする」と話した。

     ◇

■取材中、驚きの出会いも/ダウンタウン松本さんの兄隆博さん来店

 松ちゃんラーメンの取材中、ダウンタウン松本人志さん(59)の兄で、シンガー・ソングライターの松本隆博さん(61)=松山市=がたまたま店を訪れた。「松ちゃん」つながりで友人から紹介され、これまでに十数回、店を訪れているという。

 この日は鳥取観光のついでに立ち寄ったといい、ワンタンチャーシューメンの大を注文。「…おいしいわ」とつぶやいた後、「このワンタンのニンニクのきき具合がいいよね」「きょう1日の仕事の疲れが取れるよね。仕事してへんけど」と、松ちゃんそっくりの口調で太鼓判を押していた。

     ◇

【メモ】住所は豊岡市日高町東芝104。日・月曜休み。午後5~11時。電話はない。電飾が目印で、国道312号から1本脇道に入る。

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